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日蓮大聖人・池田大作

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第2回北海道青年部総会 生命と社会の冥合、相即の思想を

1974.9.29 「池田大作講演集」第7巻

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3  人間世界に相即の原理
 さて、そうした勉学の一指針として、一つ大事なことを申し述べさせていただきたいと思う。話が少しむずかしいかもしれませんが、将来のためだと思って了解して、聞いてください。
 それは、我々がたもっている妙法は、世界観のうえでは一念三千の理法と表現されております。我らの心と、我らが住んでいるこの世界との関係は、一念三千という相即の関係、冥合の関係にあるというのであります。
 天台大師はこの点を「摩訶止観」第五でこう説明しております。「一心は前に在り、一切の法は後に在りと言はず。亦一切の法は前に在り、一心は後に在りと言はず云云」。ということは、我らの一念と世界との関係を正しく知ろうとするならば、時間的意味で前後にこだわって考えては、間違ってしまうというのであります。
 まず“心”が先にあって、その“心”から“世界”が創り出されるのでもなく、またその逆に“世界”が先にあるから、後から“心”がそれを写し取るわけでもない。“心”が優位にあるのでもなければ“世界”が優位にあるものでもない。
 では、いかなる姿が真相かといえば「心は是れ一切の法、一切の法は是れ心なるなり」という相即冥合の姿が真相であるというのであります。これが“中道”という考え方であります。これを現代風に表現しなおすのは、なかなかむずかしいのでありますが、強いて表現してみれば、だいたい次のようにも一面考えられるのであります。
 すなわち、個々の一念のなかに全世界がつつみとられ、全世界におのおのの一念が沁みわたっていき“心”と“世界”とが相互に浸透しあって、しかも両者のあいだになんの敵対関係も発生していない、きわめて好ましい調和の状態とも、私にはとれるのであります。
 こういう原理にもとづいて、再び我々の人間世界を見直すならば、ただちに次のようなことが考えられるのであります。
 それは、学会内部での人間関係も、社会における人間関係も、良識と善意で互いの心と心とが浸透しあい“自他彼此”という狭い差別観が乗り越えられてこそ健全になる、という点であります。
 自己の心と世界とを相対してみた場合、どちらが優位にあるのでもなく、互いに浸透しあって成立しているのだ、という中道の自覚――この自覚が互いの人間関係のうえにおいても成立したときは、この修羅界の多い世の中から無益な争いごとや対立は、だんだんと減少していくのではないかと思うのであります。
 このことに関連して、私はかつて、この北海道の地に展開されたところの、いかにも人間味のある史実をあげてみたいと思う。それは、明治初年に起こった函館(箱館)戦争のことであります。この戦争は、明治の新政府の方針についていけなくなった幕臣たちが、榎本武揚を中心にして、この北海道に旧幕臣の新天地を求めて、武力によって一時、北海道全域を支配したために起こった戦であります。
 戦の大勢すでに決したとき、榎本たちは、官軍が恭順を勧めたのを拒絶し、同時にオランダで学んだ「海律全書」二巻を、官軍に贈った事実があります。
 これは、当時においては貴重な書籍であったので、この文化財を焼失させまい、世の中へ残そうという配慮であります。これに対し、官軍もまた、これを快く受けて、彼らの志を多として、感謝のしるしに酒五樽を贈ったというのであります。
 戦争という最悪の関係のなかにありながら、厳然として相互にその人格を認め合っていったのは、どちらも立派という以外にないと、私は思う。
 この戦いに敗れた榎本武揚たちは、いずれも投獄の苦を味わったのでありますが、黒田清隆が助命運動をして解放され、大部分開拓使に採用されて北海道開拓に有能なる新知識を生かし、立派な活躍ぶりを残しております。
 私は、この史実をとおして、人間というものは、互いに尊重しあう心さえ失っていなければ、立派に変毒為薬をして、互いに栄えていけるのもであるという事実をみるのであります。
 いわんや、妙法の中道の哲理によって結び合っていくならば、この北海道の地においては、明治の榎本武揚たち以上の事跡がどんどん生まれてくるのは、間違いないと信ずるのであります。また、皆さん方、北海道健児の手によって、積極的にそうあらしめていくよう努力をお願いしたいのであります。(大拍手)
4  「断常の二見」と「中道」
 次に、一念三千の理法に関して「中道」ということを申し上げましたから、今度はその「中道」について少々、説明を加えてみたいと思う。
 「御義口伝涌出品」のところに「断常だんじょうの際をゆるを無辺行と称し……」という一句があります。これを日寛上人が「断常を踰え辺際なしとは中道常住である。ゆえに無辺行は常を表すのである」と解説してくださっております。中道以外に常住の法はありえない。その点を悟って実践に移していける徳を備えた人こそ、地涌の無辺行菩薩にあたるのだ、というご教示であります。
 もともと仏教は、小乗、大乗、迹門、本門を問わず、一貫して中鉢をいくことをめざすものであります。小・大・迹・本――それぞれ法門の浅深はありますが「中道」という一点は貫かれているのであります。
 では、その中道とはいかなのものか、というならば「断見」と「常見」という二種類の偏見を排除して、もっぱら現象界に知性を向ける態度を「中道」というのであります。さきほどの「断常の際を踰ゆる」とは、このことをさしているのであります。
 では「断見」とは何か。これは“すべての物事はやがて断滅して一切が空無に帰する”という考えであって、生命や世界の永遠性を信じないのであります。いわゆる唯物論の認識原理などはこれにあたります。
 「常見」とは、その反対に物事のなかに永遠性をみてとるが、その見方が誤っている。すなわち「常見」とは“現象の変化の背後に、それとは別に超越的な不変の永遠の本体がある”と主張する立場であって、これに属する考え方は、天地創造の神が存在すると説くキリスト教がそうであり、また哲学としてはアリストテレス哲学の存在論がそうであります。彼は、現象の奥に潜む不変の本体を知ることが、事物の根源を把握するのだという主張をしたのであります。だが、これは明らかに仏法で戒めている「常見」でありまして、いまではそれらも哲学の内部からさえ非難され、排除されていることでわかるのであります。
 こうした「断常の二見」は、その主張内容がまったく正反対であるにもかかわらず、現象の背後の、見ることもできないものを勝手に設定し、そういう存在、非存在をなんの根拠もなく独断している点では、ともに誤っているといわざるをえないのであります。仏法においては、こうした「断常の二見」を越えて中道を認識せよと説き、そこを無辺行菩薩の徳性とも称しているのであります。
 そして、この「中道」こそ“理法”によっていえば「三諦円融」の中道であり“事法”に顕したときには、即文底下種の大御本尊と顕れるのであります。ゆえに、この「中道常住」の境地は信心の「信」の一字から始まることはいうまでもありません。「御義口伝」にいわく「されば地涌の菩薩を本化と云えり本とは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり……此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治たいじする利剣は信の一字なり無疑曰信むぎわっしんの釈之を思ふ可し云云」と。
 いずれにしても、この「中道論」を、これからなんらかの機会に、私も申し述べたいと思いますし、諸君にもまた人生観における正しい“中道の道”を歩んでいただきたいために、その一端を申し上げたしだいであります。
 私は、昨年の総会において、明治の開道初期の指導理念は“ピューリタニズム”であった。だが、今後の指導理念は“妙法”という生命哲理でなければならないと申し上げましたが、このことはすなわち「断常の二見」を越えて、「中道」の理を興隆することでもあるのでありますから、どうか諸君はますます御書に親しみ、智勇兼備の人材と育っていただきますよう、心から念願してやまないしだいであります。(大拍手)
 最後に、諸君のご多幸、ご健康と、また激しいインフレに倒されないようにと、心からお祈り申し上げて、きょうの私の話を終わらせていただきます。長い時間、ご苦労さまでございました。(大拍手)

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