Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第1回品川区幹部総会 人間信頼の復興へ前駆

1973.11.23 「池田大作講演集」第6巻

前後
5  学会は“生命対生命”の世界
 さきほど「八幡大菩薩」の話のなかて、正直さと信頼関係のことを申し上げましたが、所詮、人生はずる賢く立ちまわったり、小利口に泳ぎまわった人が幸せになるのではありません。
 よしんば、そういうようにこの世を生きて、名聞名利の拡大に成功したとしても、それは決して幸せとはいえない。むしろ、貴重な人生というものを、台無しにしているのであります。人間革命を土台とした成功でなれば、その人生というものは、泡沫のようなものであるからであります。
 イギリス文壇の元老といわれたフォースターという人が、こういっている。「この人生を台無しにすまいと思えば、我々は人々を愛し、彼等を信頼するほかはない。だからして、人が人を失望させないこと、これが何よりも大切なことである。だが、事実は、しばしば失望が与えられる。私の自戒はせめて私一人だけでも、出来る限り信頼にあたいしようということだ」と。
 与えていった場合には、二乗界の人でも正直を心がけた人は、こういう心境に達すると申し上げたい。また、学会の組織活動の立場から、これを考えてみた場合、学会の組織というものは、政治組織では絶対にない。また、企業、会社の組織体のような「事務的関係の世界」でもありません。いうなれば「生命対生命の関係の世界」「人格的関係の世界」であります。ゆえに、お互いに役職で対話をせずに、人間同士の信頼関係にもとづいて対話をし、仲良く助けあっていただきたいというのが、私のお願いであります。
 指導とか対話においても、とにかく相手の立場を尊重し、相手の考えを理解できないと、心の交流は成立しません。人というものは、それぞれ経てきた経験が違うと、発想の仕方、推理の仕方が違ってまいります。
 たとえば、私どもでありますと「氷は水からできるものだ」と思っております。これは、私どもの経験が、そうであったために、そう思うわけであります。ところが、北極に近いところで生活しているエスキモーは「水は氷からできるものだ」と思っているそうであります。彼らの日常経験は、そうなっているからでありましょう。
 してみれば、人の意見というものは、自分とまったく逆であっても、一概に否定はできないものだということがわかるのであります。
 東京の人の指導のむずかしさが、ここにある。地方の田舎ですと、どちらかというと、同じ経験の人ばかりが集まっており、概して地方人同士はお互いの気持ちがよくわかる。ところが東京は、北海道から沖縄までの幅広い地域の人たちが、大勢集まっているところであり、そのうえ職業までがじつに多種多様であります。
 したがって、自分とまったく正反対な考え方をもつ人さえもいて、しかも、それが決して誤りではない場合が、十分あるということであります。ゆえに、相手をよく理解することと、信頼関係によって対話をすることが、東京ほど必要な地域はないのであります。どうか、品川の同志の皆さん、広く、あたたかい人間関係によって、皆さん方のこの愛する地域を、賢明にリードしてくださるようお願いします。(大拍手)
 きょうは話の最初に、最近のインフレがくる“人生苦”を申し上げましたが、よく考えてみると、この世は娑婆世界、なすわち“堪忍の世界”であり、人生はもともと苦労の連続といえるかもしれません。よって苦労に即して楽しみを開拓していく以外にないのであります。“苦しく”と“喜び”との総トータルが人生である。そして“苦しみ”のほうが多かったか、“喜び”のほうが多かったか――ということで、最後の人生が決まるような気がしてならない。「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せの、この信心を貫き通す以外に、喜びをもっての総トータルの人生の決着はないのではないか――こう私は申し上げておきたい。
 ともかく、大御本尊には“苦しみ”というものを切り開いて“喜び”すなわた菩提、涅槃を体得できる絶対的な力用があるわけであります。あとは皆さんがた一人ひとりが、しかと、それを体得していっていただきたいのであります。
 何度も申し上げますけれども、この荒れ狂うインフレの波濤を、どうか皆さん方は乗りきっていってほしい。また、長い将来においても、なにが出てこようとも、題目で悠々と一切の難を乗りきって、喜びの最後の花を飾ってください。更に全国会員の手本となっていただきたい。そして、その功徳を子孫末代まで、栄えさせていけるよう、心からお祈りいたしまして、私の話を終わります。(大拍手)

1
5