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日蓮大聖人・池田大作

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第1回北海道青年部総会 風雪の歴史輝かす妙法の勇者に

1973.9.9 「池田大作講演集」第6巻

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3  実践、実現の指導者に
 この農業開拓の歴史のなかで、私は考えさせられる事実を一つ見いだしました。それは米の話であります。いまでは、北海道は日本有数の米どころであるし、道内第一の農産物は米であり、稲作に関しては、だれも不思議に思う人はおりません。
 ところが、明治の開拓初期には、北海道開拓使顧問として招かれ、札幌農学校等においても指導者であった、あの有名なアメリカの農政家ケプロンも、そしてまたクラーク博士も、北海道では、稲作は不可能であると断定したのであります。のみならず、欧米輸入の商品作物栽培を指導したとでているのであります。ところが、明治の中ごろに、北海道庁の酒匂常明という拓殖部長が、稲作の指導に成功して、それから開拓の方向が一変してしまったというのであります。
 私はここに、理論家と実践者の決定的な違いというものを見せつけられる思いがしたのであります。理論は大事なものであって決して軽視するものではない。しかし、理論家たちが不可能と断定した稲作でも、実践家が立派に可能にしてしまったというこの事実は、なにを物語っているのか。これは万事にわたっての尊い教訓ではないかと思うのであります。
 我々の広宣流布という戦いもまた同じであります。北海道での地域の大建設も同じ方程式であります。この教訓をおおいに生かしていただきたい。だれもが不可能とあきられてしまうことでも、やり方しだいでは可能となるのである、という確信と賢明さが必要である。これこそ、ほんとに優れた指導者であると私は思いますが、諸君たちはどうだろう。(大拍手)
 きょうお集まりの一万一千人の皆さんは、全道各地で活躍する、それぞれ若き指導者であり、幹部の代表であります。諸君たちはどうか、底の浅い虚栄の理論家にならずに、大確信と賢明さを兼ね備えた立派な実践指導者になっていただきたい。私は、皆さんの前途よ、かくあれ、と心から祈ってやまないしだいであります。
 もう一つこんな話があります。「日本の文化地理」という本の第一巻のなかに、こういう記載があります。
 それは、開拓指導者の養成について「無人の荒地を開墾し、新天地を築くため、開拓使は広く知識を欧米先進国に求めた。明治九年(一八七六)開拓長官黒田清隆は、開拓指導者の育成を痛感して、アメリカ、マサチューセッツ州立農科大学学長クラーク博士を招き、札幌農学校を創設した。これは、東京大学農学部の前身である駒場農学校より一年早い発足であり、人口わずか十八万余の北海道に最高学府を設立したことは一大達見であった」とあるのであます。
 この有名なクラーク博士が帰国にさいして残した「ボーイズ・ジー・アンビシャス」という教訓はあまりにも有名であります。が、このクラーク博士が札幌で教育と農業指導にあたったのは、たった八か月間であるということであります。
 クラーク博士ほどの人でも稲作への見通しを誤ったことは、すでに申し上げたとおりでありますが、農学校での教育のうえではきわめて大きな成果をあげております。わずか八か月であっても全身全霊を打ち込んだ仕事というものが、作業というものが、いかに大きな成果をあげるものかという一つの見本であると思うのであります。
 その証左の一つとして、農学校の卒業生のなかからは、有名な教育者が大量に輩出しております。牧口先生とひじょうに深い関係をもった地理学者の志賀重昴氏も、この学校の四期生でありました。
 農学校でありますから、農業の権威者がたくさん出るのはあたりまえかもしれませんが、明治期を通じて、驚くほど多数の教育者がこの学校から生まれている。そのほとんどが一流の教育者になっているという事実であります。
 これは、直接にはクラーク博士の人格的なものが、大きく影響したものでありましょう。だが、視点を広げてみれば黒田清隆の卓見の所産であったということも忘れてはならない。
 二人とも教育者の養成を念願においてやったことではないのでありましょうが、結果の一つとしてそうなったのであります。よく“瓢から駒”といいますが、そのような結果が出たわけであります。
 いま、皆さんはいろいろな職場、さまざまな地域にあって、それぞれの生活、活動をしているわけであります。学会活動にせよ、仕事や社会活動にせよ、人それぞれめざすところをもっているはずであります。が、いまこの農学校の例が教えていることは、成果というものは、めざしたところにだけあらわれるものではないということであります。人生や社会は奥深いものであって、思いがけない方向にまで作用が及んでいくものであることを示しおります。なにごとも理屈どおりにいくものではない。
 とにかく農学校の場合は、わずか一人の人物の卓見と、わずか一人の、しかも短期間での情熱とが、めざましい効力をあらわしたという事実であります。
 卓見は静の世界の力である。それに対して情熱は動の世界の力であります。この静の力と動の力とがガッチリ連結したところに農学校の成果がありました。
 我々の前途についてもそうではなかろうかと、私は申し上げたい。静の力に優れた人がある。動の力に満ちた人もある。自分の組織のなかを見渡してみますと、じつにいろいろな人材がいることがわかる。
 だが、バラバラではみるべき力が出てこない。尊敬し、ガッチリと連結し、団結した組み合わせの妙をえて前進していってこそ、はじめて広宣流布への一大威力というものが発揮されることを忘れてはならない。
 皆さんは、どうかそのつもりで、互いに仲良く、信頼しあって、尊敬しあっていってください。
4  未来の可能性に挑戦
 さきほど引用した「日本の文化地理」の別のところでは、“道民性に関するある報告”として、次のように述べておりました。
 「昭和十年、全道小学校長会議は、北海道庁長官に道民性に関する答申をした。そこで道民性の長所としてあげられたのは、積極進取・気宇拡大・堅忍持久であり、短所は敬神崇祖の念に乏しいこと、愛郷心・土着心の乏しいこと、強力性に欠けること、投機心が強いことなどである。長所については多少表面的好意的理解がみられるが、短所の方にむしろ北海道的特性があらわに感ぜられる」と書かれてあります。これは私がいったことではありません。(笑い)
 昭和十年といえば、約四十年前のことであります。当時は、多分そのような道民性であったかもしれません。そのころは他の国内からの移民、移住者が活動した時代です。
 したがって、消極的で気が小さく、また忍耐力の乏しい人が移住者として、新天地へ飛び込んでくるわけがありません。雄大で荒々しかったこの北海の大地で生活を始めれば、ここに述べられているような長所はますます育っていったでありましょう。
 短所として項目にあげられた諸点も、当時ではそうだったと、私には考えられる。生まれ落ちた郷土でない所に開拓に北のでありますから、愛郷心がなかったのも当然である。
 よりよい土地、よりよい職業を求めて必死に生きぬこうとしたのでありますから、土着心ができようはずもない。投機心が強いといっても、農業でさえ小豆などの投機的な農作物しか作るものがなかった時代でありますし、また敬神崇祖といわれても、生活に手いっぱいで精神的ゆとりがない立場であったのでありましょう。戦前の諸君のご両親までの時代はそういうわけでやむをえなかったと、私は考える。
 北海道が暮らしやすい天地になったのは、きわめて最近の現象といってよい。だが、戦後の現在は、出稼ぎと移住の時代は、はっきりと過ぎ去りました。この新天地で誕生した人々の時代がやってきたわけであります。まさしく北海道こそ、諸君の立派なる誇るべき故郷なのであります。
 北海道は他の府県のように、地域分裂などというわずらわしい経験はしていない。この百年間、つねに全道一体のもとに開発されてきたし、各府県のような伝統的な障害は、社会的にも心理的にもまったくなかったといってよい。
 関東で、各府県が利根川の水争いをするというような、また青森県内で、津軽側と南部側が心理的対立を長くしている、というような伝統的な妨げは、ここにはない。気風としても自由であって、陰湿なかげがない。これはまったくよいことであります。ひじょうに優れた未来性がある国土世間であります。
 開発基盤がだんだんと整い、新しい文化形成にも力が出てきた。日本全土の5分の1にあたる雄大な国土に、いわば初夏の太陽が昇り始めたと、私はみたいのであります。
 諸君は五百万道民の一人として、これから三十年、四十年の未来を背負っているのであります。北海道の魅力あふれる可能性へ立ち向かっていく勇士であります。丈夫であります。
 明治の開道初期の指導理念は、ピューリタニズムであった。開道百年を過ぎたいまは、北海道は第二世紀、すなわち第二章の初頭にあたっております。今度は、その指導理念、および道民の精神の柱は妙法という生命哲理でなければ断じてならない。そうあらしめるために、ひとえに諸君の力が必要となってくるのであります。
 私はそれを深く期待してやまないしだいであります。私も北海道の諸君とともにがっばってまいりますから、しっかりお願いします。(大拍手)
 最後に、諸君のご健康とご多幸を心からお祈りし、またご来賓の方々にも、一同に代わって厚く御礼申し上げます。また、設営関係の方々に心から御礼申し上げます。もし車で、遠くへ帰られる方もいるならば、十分に休息をとって、大切な体であるがゆえに事故のないように十分注意していってください。来年の九月にでも第二回の青年部総会を開催し、皆さん方の成長した元気な姿と再びお目にかることを楽しみにして、私の話を終わらせていただきます。(大拍手)

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