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日蓮大聖人・池田大作

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第22回青年部総会 警世のかがり火を諸君の手で

1974.1.20 「池田大作講演集」第6巻

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7  人間革命と“鍛え”の原理
 さて、今年は行事の企画と実行について、大幅に地方へ重点を移行しております。もはや、なんでも東京へ人を集めて行こうという時代ではなくなったことを、知ってください。東京も各地方も平等であります。むしろ地方こそ、より多く文化の恩恵を受けるべきであると、私は思います。したがって、これからは、地方地方で、しっかりと、もっとも身近な地域の実情を正しくつかんで、有効な活動を展開していっていただきたいのであります。友好の輪を広げ、相互理解のきずなを強め、英知の輝きを増し、社会のだれからも親しまれ、信頼される社会人に成長していっていただきたいのであります。それが私の願いであり、将来における楽しみなのであります。
 ともあれ、諸君は二十世紀の人間というよりも、二十一世紀の人々であります。あと二十七年で二十一世紀――その時には、諸君は、平均したところ五十代であります。人間、五十代といえば、家庭でも職場でも、おしもおされもせぬ第一人者の立場であり、人間として円熟して、すべてのことを自身をもって運営していける齢でもあります。
 必ずそうなっていくわけでありますから、いまの境遇においては、いろいろな難問題をもっている人もいるではありましょうが、先行きをしっかり見つめ、展望して、ひたすら人間革命に励んでいっていただきたい。そして、ただ「忍耐」の二字を胸に刻み、それを忘れないで、強く生きぬいていただきたいことを、お願い申し上げるものであります。(大拍手)
 信心の道を進む者は「正義感」を決して失ってはなりません。世法のうえでは、よく「清濁併せ呑む」という度量が必要なこともありましょうが、そうしたことに慣れてしまって、自分自身までが濁ってしまっては、本末転倒というものであります。とりわけ、信仰の分野のことについては“濁”のほうを呑んではならない。
 そうなっては、必ず「正義感」を失ってしまって、無気力な日陰の人物になてしまうからであります。
 また、信心している以上は、必ず良き人物になるべきでありますが、ただのお人好しになっては困る。そのためには、いまのうちに、この青年期のうちに、会社でも、または諸君のあらゆる境遇においても、学会においても、まわりからうんと鍛えられておくべきであります。自分から求めて、そういう機会をもつべきであると、私は思う。「鍛えられる」ということは、なにか封建的だ、などと考えるのは、私は間違いであると思う。世間の一部のヤングのなかには、そういう思想をもっていて、とにかく、生活の自由、行動の自由ということを口にして、結局は遊ぶことに没頭している人たちもおりますが、それでは、その生き方で、一年間にどれほど人生のうえにおいても、人間的にも成長したか、人としての幅が広がったか――とみれば、結局は成長していないのであります。だから、結果をみれば、鍛えられない人は、人生に大きな損をしているのであります。
 この原理は、いかなる世界においても同じであると私は思う。もし諸君が「鍛え」の過程において、つらいことがあったならば、唱題に励んで、自らがんばればよい。私もそうしてきましたし、男子部の名誉ある伝統として、いままでの先輩たちが、皆そうして、力ある人物になってきたのであります。「生死即涅槃」の法理が、これなのでありますから、勇気をもって、青年らしく、自分自身のためにも、仏道修行に励んでいってください。私は、諸君に対して、ただ諸君の成長を願って、題目を送っております。
 どうか、一人ももれなく、健康で、希望にあふれた力強い青春を送ってくださるよう、心からお祈り申し上げまして、私の話とさせていただきます。(大拍手)

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