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日蓮大聖人・池田大作

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第36回本部総会 時流は「生命至上主義」の信仰へ

1973.12.16 「池田大作講演集」第6巻

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18  人間原点から再出発
 先日、フランス生まれのアメリカ人で当代一流の科学者ルネ・デュボス博士と会見いたしました。この方については、トインビー博士からも一度会ってみてはと勧められていた方であります。
 生死の問題、人生のこと、これからの世界のこと等々、種々、有意義な会話ができました。そのなかで私は「共産主義、資本主義、民族主義などのイデオロギーは、二十一世紀にはどうなっていくであろうか。また、どれがいちばん理想的な人類救済の道であるか」という意味の質問をいたしました。博士は「大変むずかしい質問ですね」としばらく考えて、次のようなことを申されておりました。
 「これからのすべての主義というものは、もはや創造的な力にはなりえない。それは、これらの主義にみられる人間のとらえ方が、根本的に経済的、政治的であり、より基本的、普遍的な“人間の欲求”には、目を向けてないからだ。つまり、すべてが他を攻撃することだけに終始して、あまりにも独善的になりさがっている。二十一世紀に我々がしなければならないことは、この基本的、普遍的欲求の原点たる人間というものを再発見し、それを満足させるかたちで、社会の制度を、その人間の欲するもっともふさわしいように組織しなおす必要がある」という意味のことを述べておられました。
 私はこの答えを聞いて「私も前から、二十一世紀は“生命の世紀”としなければならない、と主張してきました」と述べましたところ、博士は深くうなずいておられました。
 一対一の責任ある発言をとおして、博士と私とは「人類はもう一度、人間と言う原点に帰らなければならない」という一点について、深い確信をもって意見が一致したのであります。
 どうか私どもの人間開発の真摯な戦いこそが、二十一世紀を開く大運動であり、後世の人々が必ずや絶賛を惜しまないであろうことを強く確信して、誇り高く来年もがんばっていただきたい。
 なお、きょう、あすの現実の社会には不況のあらしが吹き荒れております。その渦中にあればあるほど、唱題によって内なる宝を顕現しつつ、生活設計を磐石にして、強靱な生命力でこの現実を生きぬいていっていただきたいのであります。
19  人間党の旗を掲げて
 佐渡御書の一節に「おごれる者は必ず強敵に値ておそるる心出来するなり例せば修羅しゅらのおごり帝釈たいしゃくめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し」とあります。この一節に私は、万感の思いを込めて皆さんへの願望を申し上げておきたい。
 おごり高ぶる心は、いざというときには必ず挫折して、小さな垣根に自己を囲ってしまう。自らを守るかにみえたその垣根も、ひとたび苦難の波浪が押し寄せれば、もろくも崩れ去り、無熱地のの中に小見となって隠れた修羅のおごりのごとく、安逸の人生の夢敗れて、悲哀の人生へと転落するにちがいない。不屈の忍耐と勇気に満ちて不動の新年の正道を往くものこそ、揺るぎなき人間の王者といってよいのであります。
 その人間には虚飾の冠は毛頭必要ない。見栄や形式、権威もいらぬ。更に机上の空論も必要ない。それらには胸中に輝くであろう人間究極の魂の太陽の光線は、もはやないことを、私はよく知っているからであります。
 私はあらゆる生き物を巻き込んで荒れ狂う醜い社会の濁流は、もとより覚悟のうえであります。正しき者をねたみ、陥れ、苦悩を浴びせかける陰険な罵声も、決して新しいことではない。一点の光も灯さぬ邪見の暗闇がいかに暗く、深くとも、その本源を私どもは仏方の鏡に照らして知悉しております。
 わが広宣流布に生きぬく丈夫は、再びスクラムとスクラムを組み直して「人間党」の旗を高らかに掲げながら、新たなる人間世紀の開拓の労作業を、朗らかにまた来年も私といっしょに開始してください。(大拍手)
 最後に、皆さま方に、どうかよいお正月をお迎えくださいと申し上げ、私の話を終わります。(大拍手)

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