Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第2回創価大学滝山祭 スコラ哲学と現代文明

1973.7.13 「池田大作講演集」第5巻

前後
8  ヨーロッパ文明の基本的原型
 次にもう一面、文明史的にこれをみると、スコラ哲学の果たしたもう一つの役割は“地中海文明”の時代から“ヨーロッパ文明”の時代への移行に、決定的なエポックを画したということである。もちろん、そのための政治的、経済的、産業的な条件は、それ以前から、着々とととのえられてはいた。しかるに、文明のもっとも核心というべき精神的、知的側面で、ヨーロッパが、地中海文明への依存から脱却したのは、まさに、このスコラ哲学においてであったといえるのであります。
 キリスト教は、その発祥以来、八世紀あるいは九世紀にいたるまで、古代世界の地中海周辺を、その主たる舞台としていた。いわゆる原始キリスト教、初期キリスト教時代の中心地は、あるいはいまのエジプトのアレクサンドリアであり、トルコのカパドシア、イタリアのローマ等であった。この時代の最大の教父といわれる、前にも述べたアウグスティヌスは、アフリカのヌミディアで生まれ、現在のアルジ
 ェリアにあたるヒッポという地で活動したのであります。
 この地中海文明に終止符を打ったのが、七世紀から八世紀にかけてのイスラム圏の拡大でありました。これによって、地中海の制海権はイスラム教徒に奪われ、キリスト教はヨーロッパ内陸部に閉じこもることになる。そして、やがて、カール大帝の出現によってゲルマン世界の統一が行われていったわけであります。その後、この統一は政治的には分裂したものの、文化的には、一つのヨーロッパを志向して統合化が進んでいったのであります。
 このヨーロッパ文明が、ルネサンス、宗教改革、ナショナリズムの勃興等々、幾多の変遷を重ねつつも、発展と世界的伝播を成し遂げて、いわゆる現代文明となってきたといってよい。その実質的完成が、十二、三世紀のスコラ哲学の時代にあたるのであり、スコラ哲学は精神的内容において、現代にいたるヨーロッパ文明の基本的原型であったとみることができる。そして、このスコラ哲学の中心であったパリやオックスフォード、ケンブリッジ等の諸大学が、現在もなお、世界の学問の源泉地として存在しつづけていることは、このスコラ哲学に始まる精神の潮流が、いまもなお流れていることの象徴といえましょう。
 今日、このスコラ哲学の時代に始まった一連の文化発展の長い歴史は、肥大化し奇形化した醜い姿のなかに、悲劇的な終末を迎えようとしております。人間性の喪失、公害に象徴される文明のゆがみは、もはやだれびとの目にも明らかであり、文化的創造の活力源であった大学もまた、深刻な崩壊の危機に直面している。学問の場としても、人間育成の場としても、伝統的な大学は、その指導的地位を失おうとしているといっても過言ではない。
 この終わろうとしている一つの時代から、次の新しい時代の開幕のためには、新しい大学が必要でありましょう。いな、大学という“形”は副次的なものかもしれない。大事なのは、新しい哲学であり、現代の、いい意味でのスコラ哲学の興隆であります。真実の宗教を基盤とし、真実の信仰を核として、そこにあらゆる学問も、理性、感情、欲望、衝動等も統合し、正しく位置づけた、新しい人間復興の哲学が要請される。宇宙生命のなかに人間の位置を明確にし、生の混沌の密林のなかに生きるべき道を切り拓く、真実の“教養”が打ち立てられねばならない。
 この哲学を探究し教養を実践する人間と人間の集いが、真の意味の大学を形成するのであります。大学をつくるものは、建物や施設ではなく、人間であり、理念なのであります。混沌の人生に対処する、力ある真の哲学をもった人々の集うところ――それこそ、時代を動かし、文明を創造する源泉地としての、真の意味の大学であると思いますが、諸君はどうでしょうか。(大拍手)
 今日、スコラ哲学のまったくの風化は、その基盤とする宗教のまったくの無力化によるものといえましょう。してみれば、現代ほど宗教を喪失してしまった時代もなく、それゆえに救済もない時代もない。――この現実のうえに私たちは生きつづけているのであります。このように認識するとき、最大の緊急事というべきものは、現代に耐え、現代を導くにたるだけの哲学の樹立であり、その基盤をなす真の宗教の確立であります。
 未来を担う大学の誇りにかけても、その使命とする道はなんであるか――その答えは、皆さんの胸のなかにすでになることを私は固く信じて、きょうの話を終わりたいと思います。(大拍手)

1
8