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日蓮大聖人・池田大作

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第3回創価大学入学式 ”創造的人間”たれ

1973.4.9 「池田大作講演集」第5巻

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7  母校に誇りと愛着を
 話は変わりますが、昨年、私がヨーロッパほ訪れましたときに、イギリスの有名な歴史学者であるトインビー博士と種々懇談いたしました。歴史にかぎらず、哲学、芸術、科学、教育等、あらゆる分野にわたって熱心に議論を交わし、有意義な訪問でありましたが、最初に博士夫妻に会ってあいさつを交わしたとき、そのあいさつに驚かされたのであります。
 博士は開口一番「わが母校・オックスフォードにきてくださったことを感謝する」と述べたのであります。そしてトインビー博士の夫人は、次いで「私の母校・ケンブリッジにきてくださったことを感謝する」と述べておりました。
 私はイギリスへは、この両大学の招へいに応じてまいったわけでありますが、博士夫妻から、そのようなあいさつをうけるとは思っておりませんでした。そのあいさつを聞いて、私は、博士がいかに母校に深い誇りと愛情をもっているかを、知った思いがしたのであります。
 オックスフォードもケンブリッジも、そしてアメリカのハーバード大学も、みな私立大学であります。日本と違い、外国においては、私立大学のほうが、かえって有名校である場合が多い。そして、それらの大学の出身者は、自分の母校に対し、強い誇りと愛着心をもっている。その大学の出身者が、社会的に成功したりすると、進んで寄付をして大学を盛り立てている。大学の経営は、それによって成り立っているといわれるほどであります。といっても、いまから皆さんに、早く偉くなって寄付をしてほしいと強制しているわけではありませんから、心配することはありません。(笑い)
 私立大学というのは、国家権力とはまったく無関係のところにある。もちろん大学である以上、公的性格をもちますが、根本的には、自主的に自らの信条の実現のために、社会に有為な人材、学問的成果を送り出すために創設されたものなのであります。いいかえれば、私立大学とは、自主的な大学のことであり、いわば、皆でつくる大学なのであります。そこが、国立、公立の大学と違うところであります。大学の淵源はいずこをみても、この私立大学から始まっている。大学は、お仕着せによって発足したのではなく自然発生的におこったものだといってよい。
 したがって皆さん方は、この創価大学を自分達でつくり、自分達で完成していく大学であるという認識をもっていただきたい。在学中においては、もちろんのことであります。単なる知識習得のためであると思ってほしくない。会社へ就職するためのパスポートであると思ってほしくないということも、もとよりであります。教授の方々とつねに対話し、人間らしい活気のある大学をつくりあげていってほしいのであります。
 創価大学は、発足後まもない新大学であります。学風も伝統もまだ定かにはつくられてはいない。皆さんがつくりあげ、皆さんが積み上げていくべきなのであります。私は、その皆さんの努力を、最大限の応援の心を込めて、見守っていくつもりであります。
 更に在学中だけでなく、大学を巣立ってからも、母校を誇りにし、温かく応援し、見守っていっていただきたい。新しい皆さんに対して、卒業してからのことを述べるのは、少々早すぎるかもしれませんが、いかなる地、いかなる場にあっても、母校を思い、母校を誇りとし、母校を盛り立てていく皆さん方であってほしいというのが、私のお願いであります。トインビー博士のごとく、だれに対しても、母校をほめてもらうのがいちばんうれしいというように、皆さん自身がつくったこの大学を、自分達がいちばん誇りとし、またその母校を喜んでくれる人に対して感謝できる、そのような皆さん方になってほしい。そうなっていただければ、創立者として最大の喜びなのであります。
8  再び新たな人間復興を
 ともあれ、現代文明はある意味において、まさに転換点に立っていると言っても過言ではありません。それは、人類が果たして生き延びることができるがどうかという、重大な問題提起もはらんでおります。戦争兵器がもつ平和への驚異はもちろん、進歩に対する誤った進行が、人類の死への行進を後押ししている現代であります。人類が生き延びるために、我々はいったい何をすればよいのか。いったい何ができるのか。先見の明をもつ学者のあいだでは、それが真剣な討議のテーマになっている。
 こうした現代にあってこそ、再び新たな人間復興が必要である、と私は叫びたい。それは、人間中心主義、人間万能主義のそれではなく、人間が他のあらゆる生物の仲間として、いかにすれば調和ある生をたもつことができるかという意味での人間復興であり、人間が機械の手足となるのではなく、機械を再び人間の手足とするには、どうすればいいかという意味での人間復興であります。
 ここで私は、このネオ・ルネサンスともいうべき人間復興への要請に対して、いまこそ、その重要な分野として、哲学・思想・学問におけるネオ・ルネサンスを必要とするのではないか、と考えるのであります。学問への新たな意欲を人類が注ぐならば、そして先見の眼を開くならば、人類が生き延びるための新たな哲学・思想が確立されるにちがいない。そしてそれは、たんに人類が生き延びるためという消極的な目標を越えて、新たな人間讃歌の文明が築かれていくことと信じるのであります。
 この、これからなさねばならない壮大な人類の戦いの一翼を、創価大学が担うならば、そして、少なからぬ貢献をなしうるならば、創価大学の開学の趣旨も結実した、と私は思うのであります。
 大学におけるこの仕事は、決して容易ではないと思われる。また短時日のうちに結論の出るものでもない。地道な研究の積み重ね、厳密な討論、旺盛な意欲を幾年にもわたって継続することを要するのは明らかであります。なによりも、それは創価大学に属する人々、また将来、志を同じくして加わってくるであろう人々の全員が、一つの生命体となってこそ、その開花をもたらすことが可能となるのであります。どうか、一人ひとりが創価大学の代表者であるばかりでなく、創立者であるという誉れと自覚をもって、充実した学園生活を送り、更に豊かな人生への跳躍台としていっていただきたいことをお願いするものであります。
 最後に、私のこれからの最大の仕事も教育であり、私の死後三十年間をどう盤石なものにしていくかに専念していく決心であります。それは、二十一世紀の人類を、いかにしたら幸福と平和の方向へリードしていけるか、この一点しか、私の心にはないからであります。
 その心から、私は皆さんに、人類の未来を頼むと申し上げておきたい。また、教授の先生方にも、学生を立派に育てて戴きたい、衷心よりよろしくお願いいたしますと懇願し、全人類に創価大学ここにありとの誇りと期待を込めつつ、私のあいさつとさせていただきます。(大拍手)

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