Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第6回創価中学・創価高等学校入学式 知を愛する精神強く

1973.4.7 「池田大作講演集」第5巻

前後
5  素質を伸ばそう。
 第四は「素質を伸ばそう」ということであります。
 人にはそれぞれ「向き」というものがある。”何々に向いている”という、その「向き」であります。それが素質というもので、この素質をつかみ出して伸ばしていくところに、無限の可能性があると思います。おそらく皆さんは、どの人にも”この科目は得意だ””この科目は不得意だ”というのがありましょう。また、科目ごとに、どうしても好ききらいの差という形で、意識していることもあるでしょう。そこに素質という者ものが、一つの形をとって芽生えております。
 しかし、ただ自分がそう思っているだけではたりません。岡目八目といって、他人が見たほうがよく見える場合があるわけであります。そして、それはなによりも諸君の先生がいちばんよく見て、親身になってくださるのであります。ですから、先生を心から信頼して、先生の意見には心から耳をかたむけたほうが賢明である、と私は思うのであります。
 また、それに加えて、友達が忠告してくれることがあつたならば、口先で反撃してしまわないで、あるいは、すぐに感情的にならないで、よくよくかみしめてみる必要もあるということも忘れないでください。そういう気持ちの、心の広い人、幅の広い人は、いつか大成する人でありましょう。気持ちが狭くて受け入れの少ない人は、小才子で終わってしまう場合が多い。精神を鍛えるということは、こういうところにもあるということを、しっかり覚えておいてください。
 福沢諭吉は有名な「学問のすすめ」のなかで「実語教に、人学ばざれば、智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとにより出来るものなり」といっております。古い明治の言葉でありますが、これは、私も真理であると思います。心構えを学び、学問を学び、すくすくと若竹のように、真っすぐに素質を伸ばしていってください。
6  愛知の精神でいこう
 最後に、第五は「愛知の精神でいこう」すなわち「知を愛する精神でいこう」ということであります。
 ある学者はこういっております。
 「学問は社会のためにするものとも、自由に考えることができました。大哲学者スピノザなどは、その実例に当たります。彼は職業としてはレンズの球磨きを選び、自分の知的満足を求めるために哲学を勉強し、非常に大きな財産を人類のために残しています。(中略)自分の楽しみを持たない学問は、どこかで行き止まりになってしまいます」(戒能通孝著「いかに生き、いかに学か」)と。
 学問における自分の楽しみというものは、忍耐強い努力のなかから味わうわけで、なかなか大変なことでもありますが「知ることを愛する」、その気持ちさえあれば、必ず楽しみはわくものであると申し上げておきたい。成績のよしあしを越えて、まず、この楽しみをつかみ取ろう、こう決意していただきたいのであります。
 小学校で習った勉強は、これは本当をいえば、基礎知識にすぎないのであります。山登りに備えて、トレーニングに励んだ段階である。そして、中学・高校から、はじめて、いよいよ学問らしい学問が始まるのであります。つまり、自然科学、人文科学、哲学という巨峰に対して、いよいよ”山登り”が始まったわけなのであります。
 これは、生涯かけての「大登山」でありまして、男子の本懐であります。一通りの線までは、自然科学の分野では三十台で到達し、人文科学の分野では五十台で達する、などといわれておりますが。要は、四十台を超えてから役に立つように、学問を身につけた人が成功なのであります。どうか、そういうつもりで勉強にいそしんでください。
 学問というものは、なかなか峻厳なものであり、文字と道理をとおして、全人類、全自然、全宇宙と対話をしていく仕事でもあります。短期を起こしてしまえば、学問にならなくなってしまう。根気が学問をもたらすのであります。こういう「知を愛する」の精神を基とし、この学園の生活を通じて、諸君の人間としての「ひとり立ちへの鍛練」が始まるということであります。皆さん、どうか本日より、自分の立派な栄光の歴史を書きつづっていってください。
 以上、五項目を申し上げまして、栄えある入学への祝辞とさせていただきます。本当におめでとうございました。(拍手)

1
5