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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部夏季講習会 幸福の実態をきわめよう

1972.8.22 「池田大作講演集」第4巻

前後
4  新聞をくまなく読む運動を
 次に婦人部の前期の皆さんには“家庭を盤石にする運動”を提案したが、その実践はもちろんのこととして、機関紙である聖教新聞をまず一年間くまなく読んでいくことを提案したい。忙しい人は、そういうわけにはいかないかもしれませんが。(笑い)
 いうまでもなく聖教新聞は学会の機関紙であり、信心の動脈である。また信仰のエネルギー源である。広布という目的に前進する学会の姿を克明に伝える報道のページ。そして偉大な御本尊の功力をあらためて教えてくれる体験のページ。仏法哲学を現代に開いて平易に解説する教学のページ。文化欄に掲載される仏法の立場から社会の問題、現象を洞察した論文等、どれひとつをとってみても、日々の信心の向上に欠かせないものばかりである。
 一日分の聖教新聞をつくるには四百字詰め原稿用紙で約百五十枚は必要だという。これをくまなく読むとすると、それはじつに二日で本一冊分、一か月間で十五冊の本を読むことに匹敵する。もちろん全部読むことはできないと思うが、また新聞ばかり読んで仕事をしないのもよくないが、くまなく読んでいこうと心がけた人は、大きな力をつけることは間違いない。
 皆さんが聖教新聞に載ったことならすべて知っている、というようになれば、座談会でも個人指導でも話題に困ることはない。また自分自身の進むべき方向、学会の大きい流れを見失うこともない。
 一般に活字から遠ざかった婦人は精彩がなくなる。老化しやすいといわれている。逆にいつも活字に接している人は、若々しくいつまでもみずみずしいともいわれている。
 行動しながら活字になじんでいくことは、偉大な自己形成につながっていく。したがって活字に強くなる。ということは、それ自体が大きな文化革命、教育革命に通じていくといえよう。
 また皆さんのそうした姿勢が、大きく社会に波動していくことも必定である。いわんや、仏法を根本とした鋭いものの見方、考え方を養い、無名の幾十万、幾百万の“哲人のつどい”として学会を築いていくことほど偉大なことはない。
 聖教新聞を読んでいくことによって、ご主人にアドバイスもできるようになろうし、お子さんにもさまざまなことを教えていくこともできる。その広い心の幅が、おそらくはお子さん、お孫さんにも伝わっていき、それが大きな教育活動に通じていくことを知っていただきたい。
 そのような意味で、皆さんに“聖教新聞をくまなく読む運動”ともいうべき運動を提案したいが、いかがでしょうか。(大拍手)
5  信仰は生命のしぜんの発露
 次に御書の一節を拝読したい。妙一尼御前御返事にいわく「夫信心と申すは別にはこれなく候、妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く・子の母にはなれざるが如くに、法華経釈迦多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり」と。
 また上野殿御返事にいわく「かつへて食をねがひ・渇して水をしたうがごとく・恋いて人を見たきがごとく・病にくすりをたのむがごとく、みめかたち形容よき人・べにしろいものをつくるがごとく・法華経には信心をいたさせ給へ」云云と。
 この二つの御文は、信仰とはどういうものかを端的に、また本源的に述べた御文である。妻であれば、夫を失いたくはないと思うのは当然である。親であればわが子を捨てようとは思わない。最近は赤ちゃん受難時代などといわれているけれども……。
 おなかがすけば食べ物がほしい。のどがかわけば水を欲する。恋しい人には会いたく思うし、病気になれば薬を頼りにする。そして女の人は口紅やおしろいを頼みとする。これらはしぜんと起こる心の働きである。
 それと同じように、御本尊から自分は決して離れない、生涯、御本尊を根本に題目をあげきっていくのだ。この思いのなかに信仰がある。生命の奥底から起こってくる、止めようとしても止めることのできないその思いが、信心である。したがって、このことはなにを意味するのか。それは信仰といっても特別なものではない。人間としてのしぜんの発露であるということである。
 それはつくられたものではないがゆえに、本来、だれもが生命の奥深くにもっているものである。そしてまた、生命の本源に根ざしたもっとも力強く清らかで尊い姿が信仰なのである。ゆえに、信仰をたもった人の生命の輝きは、万人の共感を呼んでいくことができる。いいかえれば、むしろすべての人の共感を呼び起こしていく姿、活動が本来の信仰者のありかたである。
 皆さん方の信仰の輝きが日常の生活の言動のなかにおのずからにじみでて、キラキラと鮮明な光を放っていく。婦人部の皆さんはそういう一人ひとりになって、だれからも“あの信仰の姿なら自分もしてみたい”と、しぜんのうちにいわれるような存在になってほしいのである。
 最後に、皆さんのご健康とご一家の限りないご清栄を心からお祈りするとともに、そのためにも皆さんが学会をまもり、広布を更に推進されるようお願いしまして、私の話を終わります。(大拍手)

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