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日蓮大聖人・池田大作

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壮年部夏季講習会 純粋な信仰の輝きを

1972.8.16 「池田大作講演集」第4巻

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4  目標決め人生を完璧に総仕上げ
 次に、壮年期は、人生の総仕上げのときであり、完成期である。わが人生をどう仕上げていくか、このことは、壮年にとって最大の関心事であり、これ以上重要なことはないといってよい。その時期に信仰という絶対の財産をたもっている皆さん方は、おおいなる自信と誇りをもっていただきたい。
 人生の完成とは何か。これは詮ずるところ、自己の人間としての完成であり、今世はもとより永遠の未来にわたる福運の確立にある。
 人間の一生というものは、外見だけ見ると違いがないように見えても、一歩その人の内面に、その人の“心の中庭”をのぞいてみると、じつは人によって大きな違いがあることに驚くものである。
 観心本尊抄で勉強したように、同じ六道輪廻の世界に住していても、六道の荒波に押し流され、のみこまれて浮沈する人生と、その荒波のなかであたかも波乗りをするかのように、悠々と楽しみきっていく人生とでは、天地の開きがある。つまり環境に引きずられ、動かされる一生と、自ら環境を支配し、変革していく一生とでは雲泥の相違がある。
 そうした人生の岐路は、自己の生命の一念をどう変革しきるかでわかれてくる。
 そしてその生命の一念の変革を考えていくと、結局は信仰という問題に帰着するといわざるをえない。私たちはすでに真に人間らしい充実した生涯を送ることのできる“無量の宝庫”を開く鍵を手にしている。そうでない人たちとの相違は、すぐに目には見えないかもしれないが、悔いのない人生であったかどうかは、その最終期においてだれよりも自分自信がハッキリ知ることができるものである。
 また人生の完成というのは、自分一個の悔いのない人生であるばかりか、一家の繁栄、一族の興隆をもたらすものでもなければならない。そのことは一家の支柱としての当然の責務であり、男としての力の問題といってもいいと思う。
 現代は、不幸なことに、心配や不安の種が尽きない、内外ともに激動の時代になている。交通禍にいつあうかわからないし、子供の教育のことで悩む場合もあろう。いまは順調にいっている事業も、将来ともに順調とはかぎらない。こうした状況のなかでは、理屈や合理だけでは割りきれない、自分一人の力や努力だけでは、どうしようもない宿命ともいえる生命の流れがあることは、社会の荒波と戦う壮年部の皆さんはよくごぞんじと思う。
 そうした現実を直視したとき、大事な人生の総仕上げを完璧にするために、自身のためにも、家族のためにも、子孫末代までの繁栄のためにも、信仰は不可欠のものになる。したがって、どんなにつらいことがあろうとも、ひたすら御本尊を信じ、莞爾として揺るぎない信仰を貫き通してほしい。どんなことがあっても信仰だけは生涯貫き通す、この決意こそは自己の完成の根幹であります。(拍手)それと同時に「今者己満足」といえる人生の完成、総仕上げのために、これだけのことを自分は成し遂げた、なにも悔いるところがない、といえるだけの足跡を刻んでいきたいものである。
 そこで人生の総仕上げに向けて、これだけはどうしても残していくという目標を決めたらどうか、と提案したいがいかがでしょうか。(拍手)なにか一つでいい。現実の生活の場にあって、ライフワークといえるような生涯の仕事を決め、それに向かって進んでいくようにしたい。
 たとえば自分はこれだけの人材を育成したとか、地域を構築することや、仕事を完璧にすることでも、子供を立派に教育しよう、御書全編をしっかり読んでいこう、というようなことでもなんでもいいと思う。ともかく、社会に貢献し、人生を総仕上げしていくための生きがいある仕事を見いだしていただきたい。そして、その目標に向かって、悠々と幸せな人生を仕上げてもらいたいのです。(大拍手)
 最後に皆さんがいつまでもお元気で、はつらつと生涯の仕事に励み、和気あいあいとちあ麗しい家庭、職場、地域社会を築かれるよう心から祈っております。とともに、皆さんのご健勝とご一家の興隆を重ねてお祈りしまして、私の話を終わります。(大拍手)

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