Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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男子部夏季講習会 真実の人間学の実践を

1972.8.4 「池田大作講演集」第4巻

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3  妙法の力を発動させる源泉
 最後に、御書の一節を拝読しておきたい。
 四条金吾殿御返事にいわく「摩訶止観第八に云く弘決第八に云く「必ず心の固きに仮つて神の守り則ち強し」云云、神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候、法華経はよきつるぎなれども・つかう人によりて物をきり候か。」云云。
 このなかに「神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候」とありますが、大事な御文であります。
 大御本尊の加護、諸天善神の加護といっても、結局は自分自身の信心、観心の力、姿勢に応じて現れるということであります。御本尊や諸天善神が、なにかの作用によって現れて守ってくれるというのではなく、自分自身の信力、行力が、自身の生命、一念のなかの御本尊、諸天善神を湧現して自身が変化するがゆえに、すべてが変わってくる――この道理を忘れてはならないという御金言であります。
 したがって、一人ひとりの確固たる信念、そして勇気ある実践、これ以外に自分自身を動かし、妙法の力を発動させていく道はない。日眼女造立釈仏供養事にも「教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」とあるとおりであります。宇宙の根本原理である妙法を使いきり動かしていくならば一切が開けていく。それを動かしきるかどうか。所詮は、妙法をたもった一人ひとりの信力、行力以外にないことを銘記すべきであります。それゆえ「されば能く能く心をきたはせ給うにや」――この心、一念とは、色心を含めた一念であります。広宣流布のことで悩むことも、さまざまな厳しい現実の世界で悩み題目をあげることも、すべて心を鍛えていることになるわけであります。
4  自らの生命を鍛えよう
 ともあれ、妙法は最高の生命の利剣であるということであります。それゆえにこそ、それを使い、広める人は、自らの生命を最高に鍛え、仏法哲理に透徹した人でなければならない。棒切れや小さな刀を振り回すのは、子供でもできる。しかし、真の名刀を使いこなすのは、真の剣豪でなければできないのと同様であります。妙法流布の時に生まれ合わせた私どもは、本源的に地涌の菩薩として、だれよりも誇り高く、妙法の利剣を使いきっていける力を内に秘めているということを、強く確信しなければならない。そして、それを事実のうえに顕現していただきたいというのが、私の願いであります。最後に、昭和四十九年に人ももれなく。同じグループとして集まっていただきたい、ということを申し上げ、私の話を終わらせていただきます。(大拍手)

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