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日蓮大聖人・池田大作

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学生部夏季講習会 生命哲学こそ人間の本源的基盤

1972.7.29 「池田大作講演集」第4巻

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3  教育の基盤を豊かに
 最後に、教育問題について、いまは諸君に直接関係ないかもしれないが、将来のことを考え、一応感じたままを申し上げておきたい。
 教育は、いまさら申し述べるまでもなく、学校だけの問題ではない。学校は知識や技能の教育はできても、人間としての基本的な問題、すなわち人生の諸問題、倫理観等々について、一人ひとりを教育することはもはや不可能である。
 人間の一生にとって、五歳ぐらいまでの幼児期が、人格の骨格を形成する最重要期間であるといわれている。この間に、子供ともっとも接触する機会の多いのは両親、なかんずく母親である。
 子供は、母親の人格を手本にして、自分の人格を形成するのである。それは、主として無意識の深層部分でなされてきた。子供が成人して親の年代に近づくにつれ、その動作等が親のそれに似てくるということは、このためであると考えられる。
 わが国では教育ママのことがよく問題としてあげられている。それも、経済的にも時間的にも、恵まれた家庭の場合に限られている。ふつう過度に教育に熱意を示す母親と理解されているようであるが、私は、そこに考え違いがあると思う。いまのように技能や知識のみを詰め込もうとするやりかたは、子供をも苦しめ、また、それを押しとおしていこうとするときには、ゆがんだ人格形成をもたらしてしまう、ということを心配するのである。
 いずれにしても、母親は子供の人間としての基本的問題について重大な責任をもっているし、またもたなければならない運命にある。その意味において、母親が安心して教育に専念するには、どのようにしていけばよいか、諸君たちに、将来の社会の課題として考えていただきたいゆえに、提言しておくしだいです。
 また、三歳ぐらいになって一人で歩き始めるようになると、遊び仲間が人格形成上の重要な要素になってくる。だが、今日の日本では、ひとりっ子の場合が多い。したがって、隣近所に遊び仲間を求めても得られないことも珍しくない。
 それに、遊び場所もあまりない。人口抑制は時代の趨勢としてやむをえないかもしれない。しかし、子供たちが自由に往来でき、遊べる環境は、社会全体の問題として考えていかなければならないと思う。
 特に公園や遊園地などは、ほとんどが人工化されているが、自然そのものの環境が子供にはもっとも望ましい。自然に親しみ、自然から学ぶ、そうした広々とした人間精神は、自然のままのことろ以外には養えないからである。
 更に、学校教育において大きな問題は、教師についての考え方が単なる労働者と変わりなくなってきているということである。現状の教育システムでは、知識、技能を教えこむことが主にならざるをえないにしても、教師の人格が生徒に深く大きな影響を与えるということを忘れてはいけない。それを考えれば、教師は単なる労働者でありえない。まず、教師自身、このことを深く自覚しなければならない。
 社会もまた、教師がその任務を全うできるよう、十分な保障をすべきであると痛感する。現状は、優秀な青年が教師になることを希望しないという傾向が強くなった。これは大変に将来のために憂慮すべき問題であると、私は考える。
 ともかく、教育は政治の干渉をうけてはならない。政治権力によって左右されない独自のシステムを考えていくべきである。このことについては、すでに四権分立を提唱したなかで申し上げているが、教育が二十年、三十年後の人材を育成するものであることを考えるならば、特定の政治的思想によって左右されることは、きわめて危険であると訴えておきたい。
 以上、最近感じたままのことを、諸君たちの将来のなんらかの糧になればと思い、申し上げたしだいです。意義ある講習会でありますことを、心よりお祈りしております。

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