Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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広布への道程を展望して 大白蓮華

1971.1.1 「池田大作講演集」第3巻

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6  仏法の極理は秘妙方便
 日本人のものの考え方の悪い癖として、本音と建前ということがある。仏法にも内証と外用という考え方はあるが、この本音と建前というのとは違います。
 たとえていえば、もったいない話でありますが、日蓮大聖人が国主諫暁をされ、大折伏をなさったのは、外からみれば地涌の菩薩のお姿であります。しかし、そこに貫かれる内証の辺は、本地自受用身の生命である、すなわち、全民衆救済への真剣勝負の戦いを通じて内証を顕されています。
 仏法の極理は秘妙方便です。方便とは単なる手段ではない。一切法即仏法の関係です。私どもにおいても、仕事、生活、また社会的、文化的のどの活動も、なおざりにされてよいものはなく、それに真剣に取り組まないのは、仏法を正しく行ずる姿では断じてないということを、わかりきったことのようですが、再確認しておきたい。
 社会の場での戦いは、信用の積み重ねが大事です。それには、誠実、誠意、真心以外にない。せっかく、あるところまで信用を積み重ねても、ひとたび、それに背くようなことがあれば、とたんにゼロになってしまうだけではない。次にそれを再建し、回復しようとしても世間は信じなくなってしまう。社会という場での戦いは、それだけ厳しいということを知らなくてはならないのでありましょう。
 更に大事なことは、こうした活動にあたっては、下からの盛り上がりを大切にし、皆の力で築いていくということです。
 今日の学会をあらしめたのも、一人ひとりの誠意と善意が結集されたからにほかなりません。地涌の菩薩も下方から湧現したものであり、自覚ある庶民の活動こそ強く尊い。いわんや、すでに七百五十万世帯とという磐石の基礎もでき、これからは、広く社会に開いていく段階に入った。それには、あくまで、下からの盛り上がりを重んじていかなくてはなりません。
 いかなる見事な成果も、人々の自主的な意志と力の結集によってなされたものであって初めて“生命”をもつのであります。そうでなければ、民衆自体のなかに、社会のなかに運動を展開することはできません。当然、その自主性は、広宣流布に向かう一念より生ずるものです。広宣流布という大目的を忘れたならば、一切空転してしまうことを銘記したい。
 現代社会においては、人々の自主的なエネルギーによってなされたものに、なによりも高い評価が与えられるのです。したがって、社会のなかで勝利を収めていくためには、幾多の試行錯誤も必要でありましょう。
 社会的活動は、相対性の世界であり、絶対ということはありえない。失敗は許されないという、オール・オア・ナッシングの考え方は捨てて「失敗は成功の母」というぐらいの気持ちで、粘り強く取り組んでいくべきでありましょう。
 ともあれ、自覚に立った下からの盛り上がりを重んずることは、大聖人の仏法として当然のことであり、ここに、真実の仏法が、民衆の時代にこそ流布し、その骨髄となっていくゆえんがあるといっておきたい。
7  人材を育成し広布へ前進
 なお、こうした多角的な活動の展開にあたって、画竜点睛ともいうべきことは、人材の育成、輩出である。創価学会が創価教育学会から出発したように、その未来の姿も、次代を担う人材を育てる“教育”をもって、本義を全うするといえましょう。創価大学をはじめとする教育事業の振興は、その一環でありますが、もとより“教育”とは、学校教育のみに限るものではない。学会の真髄の理念が“人間革命”に表徴されるように、創価学会のあらゆる活動は、すべて有能にして高潔な人材を教育、育成し、社会に輩出していくことでなくてはなりません。
 創価学会が社会に開かれた宗教運動を展開しつつあるとき、社会そのものもまた、仏法を求める機運をしだいに高めつつあります。世界的にも、十九世紀を風靡した思想、哲学は、時代の急速な変転に取り残されて挫折し、科学的合理主義も、核兵器の出現、公害問題などをまねき、その権威の座は大揺れにゆれております。
 科学主義に屈従し、宗教に対して極端なまで忌避してきた日本の知識階層も、人間とは何か”ということから、宗教に着目せざるをえなくなってきたようです。
 時代は、一見、混沌としているようであります。しかし、それは単なる混沌でありません。すでに偉大な宗教の大河が流れているからです。一九七〇年代は、選択の時代ともいわれています。それは、各人の自覚の時代ということでもありましょう。人々が何を選択するか、何を自覚するか、それは歴史の審判を待つ以外にはありません。
 しかし、私は、人が鏡に向かえば、逆に鏡がその人の姿を映し出すように、御本尊に照らされて、必ずや広布の機は、いよいよ熟してくることを信じております。
 最後に、広宣流布大願成就への使命と決意を、恩師戸田城聖先生の歌によって、更にさらに深く胸に刻み、前進の糧としてまいりたい。
  妙法の 広布の旅は 遠けれど
    共に励まし 共々に征かなむ

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