Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第136回3月度本部部会 大言論運動の展開を

1971.3.22 「池田大作講演集」第3巻

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7  中堅の幹部を包容し守ろう
 特に幹部は、大ブロック長、ブロック長など中堅の幹部を大切にしていただきたい。中堅幹部には、上からはさまざまな伝達、指示がある。後輩の方は思うように動いてくれない。ちょうど、サンドイッチの中身のような存在である。(笑い)そうした中堅幹部の方々を、心から理解し、相談に応じ、安心して活動できるように包容し、守っていくことを忘れてはならない。
 かりにも、何々君などと自分の部下をアゴで使うように扱ってはならないし、まただれにもそう呼べる資格はない。心から尊敬する、大事にする。そういう接し方をしていっていただきたいと念願するものです。
 広宣流布の活動も、ひじょうに多様化を極めてきている。社会もまた、いちだんと複雑多岐になり、激動を重ねている。しかし、学会は御書にも「但南無妙法蓮華経」とあるとおり、堂々とわが道を進もう。私たちは右にも左にも偏せず、高次元の末法万年という全人類の、広宣流布のための礎を築き、道をつくっていくのだ。信心と団結で、この尊い和合僧を開き、守りぬいていきましょう。
 個人にあっても、企業にあっても、これからの激動の時代は安穏と過ごしてはおれないだろう。しょせんは信仰をたもった者が、最後の勝利者となることを強調しておきたい。これこそ実像の勝利です。長い坂、春の坂、栄光の坂を、冥益を絶対に確信して着実に前進していただきたいのです。
 光日房御書に「法華経を信ずる人はかまへて・かまへて法華経のかたきををそれさせ給へ、念仏者と持斎と真言師と一切南無妙法蓮華経と申さざらん者をばいかに法華経をよむとも法華経のかたきとしろしめすべし、かたきをしらねば・かたきにたぼらかされ候ぞ」との一節がある。
 さまざまな観点から拝せる御文であるが、内容の解釈をするまでもなく、戦いに臨んでの厳しい心構えを指摘されたものです。いかなる姿、形をしていようと、相手が悪知識であるかぎり、その本性を見失って縁に紛動されては、真実の人間革命、広宣流布の前進もありえない。用心も絶対に怠ってはならない。目的を忘れず、鋭い批判の姿勢を堅持して進むよう、指導された御金言といえましょう。
8  学会の前進は御金言どおり
 また松野殿後家尼御前御返事には、次のような御文があります。
 「但日蓮一人ばかり日本国に始めて是を唱へまいらする事、去ぬる建長五年の夏のころより今に二十余年の間・昼夜朝暮に南無妙法蓮華経と是を唱うる事は一人なり、念仏申す人は千万なり、予は無縁の者なり念仏の方人は有縁なり高貴なり、然れども師子の声には一切の獣・声を失ふ虎の影には犬恐る、日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし、法華経のなき所にこそ弥陀念仏はいみじかりしかども南無妙法蓮華経の声・出来しては師子と犬と日輪と星との光くらべのごとし、たとえば鷹と雉との・ひとしからざるがごとし、故に四衆とりどりにそねみ上下同くにくむ讒人国に充満して奸人土に多し故に劣を取りて勝をにくむ、たとえば犬は勝れたり師子をば劣れり星をば勝れ日輪をば劣るとそしるが如し・然る間邪見の悪名世上に流布し・ややもすれば讒訴し或は罵詈せられ或は刀杖の難をかふる或は度度流罪にあたる、五の巻の経文にすこしもたがはず、さればなむだ左右の眼にうかび悦び一身にあまれり」と。
 ここに述べられているように、不幸な人生を歩む人、邪悪な行動をする人はじつに多勢であり、正法正義を唱えられたのは、大聖人お一人であられた。しかも、大聖人は社会的にも認められておらず、権力となんらの結びつきももっておられなかった。それに対し「念仏の方人は有縁なり、高貴なり」とあるとおり、妙法の敵対勢力と結託し、世間からも尊敬される存在であったというのです。
 しかし、ひとたび使命にめざめた妙法の実践者がいるかぎり「師子と犬」「日輪と星」「鷹と雉」のごとく、その境涯、真実の力には歴然とした差があるとの御金言です。
 ゆえに「四衆とりどりにそねみ、上下同くにくむ」云云――まさしく学会の前進は御書どおりであることを確認し、「さればなむだ左右の眼にうかび、悦び一身にあまれり」とあるように、信心のことに関しては、いかなる苦しみをも恐れず、喜々として進んでいっていただきたい。
 最後に、四月二十八日は立宗の日である。この意義ある立宗の月がおのおのにとっても、“自分自身の立宗”を宣言した一歩前進、成長の月であられんことを念願し、私の話を終わります。

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