Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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総本山総門起工式 聖誕七五〇年の陽春

1971.2.16 「池田大作講演集」第3巻

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2  次に、妙蓮寺についても全く同様であります。ここはもと、上野郷地頭としての南条氏の本邸であり、公式の本拠の館跡であります。
 大聖人出世の本懐の機縁が、この地によって作られた、輝かしい歴史を生んだところであります。すなわち、熱原の法難に至る一連の開拓は、日興上人がこの本邸に滞在して、実践にあたられたご事跡なのであります。
 日興上人滅後、時を経ずして、直弟寂日房日華上人によって、妙蓮寺が開創されたとも伝えられますが、史実の表面は表面として、その内実においては、これまた日興上人、大行尊霊、師檀一体の精進が事相に結晶して、本山妙蓮寺が誕生したことを強調せざるを得ないのであります。この大精神が宗門に伝統して今日の繁栄をみるに至りましたことを、我々はなによりも名誉に思い、かつ信心に深く感銘する次第であります。
 最後に、新総門につきましては、正本堂の出現により、世界の宗教史、なかんずくわが宗教界に新しい一画期が到来することを感ずるものであります。玲瓏富峰の南麓ここ大石が原の聖地は、北の千居の玄武・丘陵を控え、東に青竜・潤井の清水を流し、西に下ってはる力東海道へつながる白虎の大道が通じ、南は豊満なる朱雀の美田を一望に収める四神相応、雄大無遍なる国土世間であります。
 原殿御書に云く「日興一人本師の正義を存じて――」と仰せの如く、その御遺命達成のために、日興上人が末法万年に流るる白法流布の実現を、実に四十余年の長きにわたってご苦労あそばした由縁の地であります。
 また、開基の時光大行殿の一族が、ことごとく宗門発展のために、寺籍に融入した歴史の地でもあります。現今においては、国内および、世界の友が陸続として参拝に、練磨にあい集ってくる信心修行の大道場であり、未来は人類平和の依処たる戒場の霊地であります。
 今、正本堂の出現にあたっては「なんぞ新総門立たざらんや」の感いよいよ深しといわざるをえないところであります。新総門と正本堂との距離は約一千㍍、まさに地涌千界千如の境を証明するものと申すべきでありましよう。新総門は高さ十六㍍。まさに如来寿量品第十六、文底下種得道の門にふさわしく、間口の十㍍とは十界の衆生は十方より集いきたって仏道に入り、地涌の士は、ここより出て十方へ分身散体して、大御本尊の妙なる大利益を、全世界へ伝えるに因みありと確信する次第であります。
 家中抄には、この所は「景明かに目に満ち一空の千里光を浮べて」と述べられておりますが、この門に参入する有縁の士は、まさに人種を問うことなく、法界の景明らかに、日天の慈照、千如三千の妙悟を心身にうけることでありましよう。
 本日の盛儀は、以上のようにまことに意義深く、宗祖御本仏大聖人聖誕七百五十年にあたって、この壮挙をみるに至ったことを謹んで日達上人猊下にお喜び申し上げ、全信徒いよいよ所願に勇進する決意を申し述べて、以て発願ならびに慶祝の言葉とする次第であります。
  昭和四十六年二月十六日  法華講総講頭 創価学会会長 池田大作

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