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日蓮大聖人・池田大作

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壮年部全国幹部会 学会を愛し守ろう

1970.8.10 「池田大作講演集」第3巻

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8  広い度量、細かい神経をもった中心者に
 次に壮年部は、広い度量をもち、思いやりのある中心者であってほしい。すぐに、だれかと争うような狭い度量ではなく、太平洋のような広々とした境涯の人になっていただきたいのであります。
 だからといって、まったく無神経なのでもいけません。人間、だれしも長所もあれば短所もある。その長所をどう生かしてあげるか、短所をどう補ってあげるか、それが中心者、指導者の苦心、年配者の役目です。細かいところまで神経をくばり、皆が知らないところで着々と手をうち、やりきっていく人が、私は偉い人であると思います。
 かの織田信長が難攻不落といわれた稲葉城を攻めたときに、こういう話が伝えられている。何度攻めても陥落しないため、最後に秀吉に相談した。そしてある日、秀吉のところに、一人の猟師がたずねてきた。
 秀吉は、その若者と会い、無名の一人の若者に対して、どこか攻める道はないかと話したというのです。
 それで、その青年は、この山麓に一角に、達目洞という小さな山ひだがある。そこから行けば、頂上にまで通じる細い道が一つだけあると答えた。
 その若者の話を即座に取り入れた秀吉も偉いし、それを、指揮官の織田信長が、すぐ行動に移したという判断も、立派であると思う。
 この山麓の一角に達目洞がある――この青年の一言が運命を変えたのです。信長の父・信秀の時代から何回攻めても落とせなかった難攻不落を誇る稲葉城が、翌日落ちているのです。一青年の言を使ったか、使わないかで決まったのです。このような細かい神経をもちあわせることが大事であると訴えたい。
 なお、これと同じ方程式は、有名なワーテルローの戦いについてもいえる。ささいなことで戦いは勝負が決するのです。ささいなことがわかるということは、ふだんの努力、真剣さによるといえましょう。
 一八一五年、英国をはじめとした連合国軍とフランスとの戦いがワーテルローで行なわれた。六月十七日、ナポレオンは、ネー将軍の軍隊と合して英国のウェリントン軍を圧迫し、それをワーテルローに追い込んだ。しかし、その翌日、ナポレオンは雨にぬれた土の乾くのを待ち、正午まで攻撃に出なかった。
 その間、ウェリントン軍には、応援のブリューヘル軍が近づきつつあった。その援軍が到着しないうちに、ナポレオンが攻撃すれば勝ったにちがいないともいわれている。
 一方、ナポレオン軍にもグルーシー元帥が合流し、応援しようとしていた。援軍の早く到着したほうが圧倒的に有利であることは当然である。ところが、そのグルーシーは道を間違え、逆にナポレオンの本隊から遠ざかっていってしまったのです。そして、不意にあらわれてきた敵軍の援軍であるブリューヘル軍によって勝敗の岐路は一挙に決し、ナポレオンは敗れたというわけです。
 その両軍の援軍については、一方のイギリスには、よき案内人である一人の牧者の少年がついていた。その少年に導かれてイギリスのブリューヘル軍はすみやかに戦場に到着したのです。
 反対に、ナポレオンの援軍であるグルーシー軍には一農夫が“故意に道を間違えて教えた”とさえ伝えられています。したがって、ナポレオンは、一農夫によって敗れ、イギリスは、一少年牧者によって勝ったといえましょう。
 要するに、勝敗を決するものは、武力でもなんでもないというわけです。
 私の申し上げたかったことは、そういう小さいところに、じつは重大なことがあるということです。皆さん方が学会の中核に育っていったとき、どうかこうしたことを忘れず、精密に、しかも思慮深く進んでいっていただきたいのです。そうした時代に入っていることを自覚してほしい。
9  陰で戦う人を大切に
 また、陰で戦っている人をもっとも大切にしてあげていただきたい。輸送班(現創価班)や会場の整理役員等々、つねに目立たぬところで私どものためにがんばっている多くの青年がおります。
 陰の人を大事にできる人が名将であります。陰で支えとなっている人に心をくばらなくてはならない。また、これに関連して、座談会場の提供者への細かい配慮もお願いするものであります。
 そうした一つひとつの実践が、あたかも一滴一滴の水が大河となっていくように、広宣流布を推進していくのです。
 四信五品抄に大聖人は妙楽大師の弘決の文を引かれて「いよいよ実なれば位いよいよ下く教いよいよ権なれば位いよいよ高き故に」と指導されている。その人の思想、哲学、人間性が高ければ高いほど、その人はもっとも庶民の人であるという意味の御文であります。礎石となって、また陰の人となって広宣流布を支える人、その人がもっともこの御文にあてはまる人であるし、尊い人であります。
10  信心の原点を御書に求め
 最後に、御書に真剣に取り組んでほしいということであります。御書は末法の経典であります。そして「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」との御金言のごとく、座談会に指導にと、縦横に用いていっていただきたい。
 “御書のことなら、なんでも自分に聞いてほしい”――こうなった場合には、もう人生の勝利者です。
 戸田前会長は御書を拝することについて次のように述べている。
 「私が大聖人様の御書を拝読したてまつるにさいしては、大聖人様のおことばの語句をわかろうとするよりは、御仏の偉大なるご慈悲、偉大なる確信、熱烈なる大衆救護のご精神、ひたぶるな広宣流布への尊厳なる意気にふれんことをねがうものである。私の胸には御書を拝読するたびに、真夏の昼の太陽のごとき赫々たるお心がつきさされてくるのである。熱鉄の巨大なる鉄丸が胸いっぱいに押しつめられた感じであり、ときには、熱湯のふき上がる思いをなし、大瀑布が地をもゆるがして、自分の身の上にふりそそがれる思いもするのである」と。
 御書にこそ一切の信心の原点があります。実践の将たる壮年部の皆さん方は、なによりもまず御書を心肝に染めていただきたいことを訴えたいのであります。
 日興遺誡置文には「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して」云云とあります。
 講習会参加の全員の方が、教学部教授、立派な幹部に成長して、第二の十年を厳然と支えていってくださることを心よりお願い申し上げ、私の話を終わります。

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