Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1回中等部総会 忘るな正義と信念

1970.8.17 「池田大作講演集」第3巻

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8  ひるまず苦難に挑戦
 次に、御書の一節を拝読しておきたい。
 上野殿御返事に「子を思ふ故にや・をやつぎの木の弓をもつて学文せざりし子にをしへたり、然る間・此の子うたてかりしは父・にくかりしは・つぎの木の弓、されども終には修学増進して自身得脱をきわめ・又人を利益する身となり、立ち還つて見れば・つぎの木をもつて我をうちし故なり、此の子そとば率塔婆に此の木をつくり父の供養のためにててむけりと見へたり、日蓮も又かくの如くあるべきか、日蓮仏果をむにいかでせうばう少輔房が恩をすつべきや、何にいわんや法華経の御恩の杖をや、かくの如く思ひつづけ候へば感涙をさへがたし」とあります。
 この御文をとおし、種々のことを論ずることができましょうが、要約すると、学問のきらいな子を立派にしたのは、やさしい言葉でも、甘やかしでもない、槻の木の弓であった。厳しさであった。また、大聖人が末法の御本仏であることを証明したのは、少輔房等の謗法者であったとの仰せです。日蓮正宗創価学会も幾多の試練を経てきていますが、心眼を開いて見るならば、そうした苦難があるために、発展、成長、成仏もできるとの方程式であります。
 諸君も将来、必ずや苦難に直面することがあるであろう。しかし、それらは、未来に大成し、社会に有為な人材に育つための試練であると心得てほしい。しょせん、さまざまな苦難にぶつかったときは、それに挑戦していくか、あるいはまた、避けるかによって信心の偉大さもわかるし、その人の価値が決定されるということを、私は申し上げておきたい。
9  妙法の大空を悠々と乱舞
 また新池御書には「鳥の卵は始は水なり其の水の中より誰か・なすとも・なけれども觜よ目よと厳り出来て虚空にかけるが如し、我等も無明の卵にして・あさましき身なれども南無妙法蓮華経の唱への母にあたためられ・まいらせて三十二相の觜出でて八十種好の鎧毛生そろひて実相真如の虚空にかけるべし」とあります。
 諸君は妙法を唱えることにより、大聖人に暖かくはぐくまれ、完全なる人格を形成して、この地球上を遊戯していくことができるようになる――こう拝せる御金言であると思います。
 諸君の年代は学問においても、人格の形成の面においても、基礎づくりの段階である。このときに大聖人の仏法をたもった諸君は、未来に大鵬と育つことは間違いない。諸君が不動の信心を貫いて、妙法の大空を悠々と舞う日がくることを、私は確信したいのであります。
 諸君の健全なる成長を心よりお祈りするとともに、その成長を見守ることを、私の人生の唯一の楽しみとさせていただきたいことをお願いし、話を終わります。

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