Nichiren・Ikeda
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2 網がある――その網の大綱を引っ張れば、全体が引き上げられる。衣は、一角を引けば、一本ずつの糸としてほぐれてしまう。こういう道理をいっています。
この天台の釈に対して、日蓮大聖人は、その意味を次のように指導されています。
「妙法蓮華経を信仰し奉る一行」とは私達の実践です。南無妙法蓮華経を唱えている生命というものは、どのような活動であったとしても、事の一念三千の当体になり、その活動は仏の所作になるのです。
故に「功徳として来らざる事なく」で、全部功徳になるのです。
「善根として動かざる事なし」――全部、福運に変わるのです。たとえば、網の目は無数にあっても、一本の大綱を引けば、どの網の目も全部動く。また衣の織り目の系筋は無数にあるけれども、その一角を取って、引くならば、それに続いて、全部が一本ずつの細い糸にほどけていくのと同じ道理であるというのです。
私達は信心、信心と言葉でよくいいますけれど、これが空回りの信心になってはなりません。本当の信心とは実践・行動です。
信心が一切の大綱であり、どんなものでも引っ張っていく源泉である。この大綱を引っ張っていくときに、網の目がことごとく動くように、一切の福運・善根が生命に引かれてくる。自分の生命に全部入ってくるのです。
信心がなければ、糸がもつれるようなものです。活動もうまくいかず、空転してしまいます。結局、信心が大事なのです。
また、どんなに複雑にからみ合っている問題でも、ある一点が解決すると、一切がほぐれていくものです。
その一点を見いだしていくことが最も大切です。信心で割り切っていこう、信心でそれを突破しようという姿勢で、それを見抜いていくのが、結局、信心になるのです。
大きな目的・意義という立ち場にたって、そして細部を見直して、どうなっているか、どうしたらいいだろうか、と信心の目で見て、考え、行動していくならば、全部、引っ張っていくこともできるのです。