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日蓮大聖人・池田大作

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第9回北海道部幹部会 さつそうと胸張り繁栄の人生へ

1969.5.17 「池田大作講演集」第2巻

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3  広宣流布は価値創造
 仏法は、目に見えない厳然たる因果の理法です。先日、関西指導の際、京都の要法寺についての報告をうけましたが、今は見る影もなくさびれてしまっているとのことです。
 要法寺は、日目上人の弟子であった日尊の開基で、日蓮正宗が最も衰微していた時代にあっても栄えていました。それが数百年後の現在、全く立ち場が逆転しているのです。
 これも、第四代の日道上人に師敵対し、日蓮大聖人のご正意を知らなかった故の厳然たる証拠といえましょう。
 この法理を個人、一家にあてはめた場合も同様です。一生という長い目でみたときに、信心を全うし、真剣に戦って立派に根を張った人と、怨嫉したり、退転して根を張れなかった人との差は、厳然たるものがあります。立派に信心の根を張り切った人は、いつか花が咲くものです。
 広宣流布は、最高の価値創造といえます。価値を生む以外に戦いの勝利はありません。各人がそれぞれの分野で智恵を発揮し、最も望ましい方向へと建設していっていただきたい。
 決して形式にとらわれてはいけません。会合の際にも、皆が疲れている場合などは、早く帰ってゆっくり休み、しっかり唱題しようと激励したほうが価値を生ずるのです。
 広宣流布という最終目標は決まっているのですから、そのうえに立って、おのおのが価値創造し、喜々としてさっそうと建設に邁進していこうではありませんか。
 妙法、三大秘法の仏法哲理をたもった無名の人ほど強い人はいません。それは、南無妙法蓮華経という大宇宙の根本法則に、自らの生命を任せきっていけるからです。
 権威や名声に身を任せている人は、それらが滅亡するとともに、自らも減びてしまいます。つまり、これらの人達にとっては、全てが無常であり、煩悩・業・苦の三道の人生なのです。
 それに対し、私ども妙法に生きる人は常住であり、煩悩・業・苦の人生を、全て法身・般若・解脱の三徳へと変えていくことができるのです。
 この原理を確信し、私どもの新社会、私どもの新時代をつくりあげ、楽しみきっていきたい。私達の後世のためにも断じて成し遂げようではありませんか。それが王仏冥合になるのです。
 「人間革命」にも書きましたが、折伏は、最も勇気ある尊い修行であり、学会の使命であり、学会っ子として生きる人の生命です。
 法華経(妙法蓮華経並開結・大石寺版419㌻)に「是れ真の仏子 淳善じゅんぜんの地に住するなり」とありますが、これは、妙法を唱え、折伏を実践する真の仏弟子こそが、淳善の地、すなわち清浄な、最高善の境涯をうることができるという意味です。
 故に、私どもは真実の仏弟子として創価学会を支え、広宣流布を本当に推進しゆく日々の活動を、地道に実践していきましょう。スクラムを組み、悠々と励んでいただきたいのです。
4  難とは人間革命の転換期
 開目抄下にいわく、
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし
 日蓮大聖人は、どのような批判や難があっても、純真に信心を全うしていけば、遂には仏界にいたると断言されています。このことは、常々いっていても、いざ難にあうと疑ってしまう私どもの弱い信心を叱咤されているものと拝したい。
 難とは、季節や潮の変わり目と同様、上げ潮に向かう人間革命の転換期と思いなさいと仰せなのです。
 人生の途上、どのようなことがあろうとも、最後には、全て願いがかなうというのが大聖人の仏法です。この御書を我が身にあてはめ、粘り強く創価学会とともに進んでほしいと思います。

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