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日蓮大聖人・池田大作

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「池田大作講演集」第1巻

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4  御書拝読の意義
 御書を拝読することは、大聖人の経文を探究することであり、大きな功徳であるといえます。生涯、自己の血肉になっていくことは、間違いありません。
 御書は偉大なる「一書」です。西欧の大文豪のほとんどは、聖書という一書をもっていた。往々にして日本の作家にはそれがない。だから大文学が書けないのだと指摘している人もあります。いろいろと多くの本を読んで、ひとかどの学者ぶっていても、人生の根本となるべき一書をもたない人は、恐れる必要はない。
 日本の有名な哲学者である西田幾多郎は、その日記に次のように記している。
 「第一の思想家は多く書をよまざりし人なり。読書の法は読、考、書、一事を考え終らざれば他事に移らず。一書を読了せざれば他書をとらず」
 現代は週刊誌や新書ものが、数多く出版されています。社会を知るためには、なにを読んでもかまいませんが、肝心かなめの一書だけはもっていなくてはいけない。私達は最高の一書として御書をもっているのです。
 御書を探究しきった人は、全宇宙の思想、哲学、社会現象の一切を包含し、把握したことになる。それほど御書は偉大であります。どこでもよい、わかるところだけ読んでも結構ですから、一生涯、我が身から放さずに読み続けていただきたい。(拍手)
 剣道の師範が剣道をやらなくなったら失格です。ピアノの教師がピアノをやめたらおしまいであります。それと同様に、日蓮正宗創価学会の私達が、信心を忘れ、御書を学ばなくなったら、いったいどうなるでしょうか。
 仏法の世界に生きる者は、御書が根本であります。この一書を探究し、その通りに実践した人が、だれよりも偉いのです。役職は方便であり、形式です。あくまで信心の根本、源流を真面目に、勇敢に実践した人のみが、最高の人生を歩むことは間違いないでありましょう。その意味において、求道心を燃やして、御書を学び、ひたすらに実践していこうではありませんか。(拍手)

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