Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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創価学会の座談会  

「池田大作講演集」第1巻

前後
1  座談会は教学と並んで創価学会の根本の伝統であり、仏道修行の要諦であり、いわば信心活動一切の縮図であります。
 いうまでもなく、日蓮大聖人の仏法は信・行・学の実践に尽きます。すなわち、信とは、御本尊に祈りきっていくことであり、それには当然、行学がともないます。したがって、観念的な信心であってはならない。信心を深め、生命活動に顕現させ社会に生かしていくためには、当然、行動が必要になってきます。
2  行学の二道と座談会
 諸法実相抄に「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」とあるのは、このことであります。行とは、勤行と折伏であり、なかんずく折伏こそ地涌の菩薩の使命であり、これを推進する場が座談会なのです。一部に大聖人は、辻説法で折伏したなどという憶説がありますが、これは後世の史家や文学者が勝手に想像して書いたのにすぎません。御書を拝すれば、大聖人はあくまで社会性、合理性を尊ばれ、座談会を中心として、折伏されたことが明らかであります。この輝く折伏の伝続を、今日までその通り実践してきたのが創価学会の座談会なのであります。
 この座談会を中心とする折伏と同時に、個人としても、世界最高の生命哲学を身につけ、一切の思想哲学を打ち破っていく力、すなわち深い教学力をもたねばなりません。この行学の二道こそ今日創価学会が前進してきた原動力であることをよくよく自覚していただきたい。
 化儀の広宣流布が進展し、文化活動がどんなに多角的になろうとも、この二つの実践を絶対に忘れてはなりません。ともすると、多角的な活動に幻惑されて、本来の活動を見失いがちである。ここでもう一度、各自が初心に立ち返り、学会本来の根本の伝続に戻っていただきたい。
 事実、私どもが入信した当時、なにごとにも真剣でありました。座談会へ出席するのにも希望があり、喜びがあった。また、みずみずしい気持ちで、座談会からについた思い出が一人一人にあると思う。その希望、喜びがあるとき、各自の人間革命が最も前進しているときといえる。たとえ、幹部になっても信心の新鮮な喜びを失い、妙法の歓喜のなかの大歓喜の境涯を湧現できないようであっては、真の信・行・学とはいえないと思う。
 したがって、私はあらゆる活動のなかで、この座談会を最も重視し″戦う座談会″を学会の大伝続として再確認し、力強く実践に移したいと思いますが、いかがでしょうか。(大拍手)
3  座談会は第一・第二・第三土曜日に開く
 教学については、すでに原則として毎週火曜日に各種研究会が実施されておりますが、座談会についても、原則をここで明確にしておきたい。すなわち組や班単位でこれまで随意に行なわれてきた座談会を地区(大ブロック)座談会一本にしぼって、毎月第一第二第三土曜日に定期的に開く伝統をつくってはどうかと提案するものですが、いかがでしょうか。(大拍手)
 第四土曜日は、幹部が本部幹部会前の行事などで忙しくなるため、臨時地区座談会を開いてもよし、臨時班座談会でもよし、自由にしておきたいと思います。いずれも、翌日は日曜日ですから、御本尊送りにも都合がいいと思います。
 火曜日は教学、土曜日は地区座談会と、この二つの行事を週間の二本の柱として伸びのびとした活動を展開していただきたい。あとは、月末の一般講義と第二木曜日に行なわれる地区講義があります。この講義の出欠状態については、講師の魅力によって決まると思います。皆さん方の責任ではありません。(笑い)ただし、自らが力をつけ、大指導者に育ちたいと思うならば積極的に出席していただきたい。
 なお、土曜日の定例の地区座談会が、登山会等の行事と重なった場合は、大幹部と相談して、若干、開催日をずらしてもよいと思います。今後、地方によっては、やむをえない事情で、座談会の開催が不可能になる場合も出てくるでしょうし、仕事のため、毎回、土曜日の地区座談会に欠席せざるをえない人も出てくるかもしれません。
 したがって地区座談会は毎土曜日に開催するという原則は動かさず、やむをえない事情がある場合のみ、土曜日の昼間か、または土曜日以外の日に開いてもよいことにしておきたい。こうした事情はあらかじめわかるわけですから、大幹部と相談して、最も活動しやすい日を決めて、全地区員が参加できる座談会を運営していただきたいと思います。
4  小さくても机を中心に置いて
 次に座談会場には、小さくても、やはり机ぐらいはあったほうがよい。円陣で座談会をという意見もあるが、全体をリードしていくためには、中心をはっきりしておいたほうがいい。だからといって、中心者は決して権威ぶったり、堅い雰囲気をつくってはなりません。あくまでも全体を暖かく包容し、威厳のなかにも、親しみやすく、なんでも話せる雰囲気をつくっていただきたい。
5  地理的条件の悪い地域は幹部とよく打ち合わせを
 座談会は、現在、地区単位になっていますが、地理的条件の悪い地域では、必ずしも毎月三回という原則を厳守しなくてもよい。というのは、北海道や東北、山陰などの一部地域では、地区単位の会合となると、遠距離から集まることになる。
 したがって、その場合は、本部長の了解を得て、三回のうち一回は、地域的に集まりやすい班単位の座談会を開いてもよいと思います。ただし、必ず優秀な幹部を、派遣することを条件としていただきたい。
6  開催時間は午後七時から九時まで
 座談会の開催時間は、午後七時から同九時までの二時間とします。これまで開始時間が一応午後六時半となっていても、実際にはまちまちで、せっかく早く集まってきた人が待ったり、時間がルーズなために意欲を失う場合があった。この点、最近の交通事情や動務状況等を考慮し、実質を重んじてこのような時間に決めたいと思います。もし早く集まった場合は、勤行や打ち合わせをしてもよい。ただし午後七時になったら、集合状況に関係なく必ず始め、午後九時になったら終了する。そして午後九時以降は、三十分間だけ幹部の打ち合わせ、個人的な指導や懇談のために充て、午後九時半には、全員が家路につく。このように時間厳守していけばだれもが安心して参加できると思います。
7  座談会推進本部の設置
 この座談会の実態は、座談会推進本部を設けて、全部報告をうけることにいたします。
 私が推進本部長として皆さん方の地区の実情を全部掌握していきたい。私自身、土曜日には率先して座談会に参加する決意です。(大拍手)
 要領のいい人達や、利己主義の人を相手にする必要はありません。座談会で活躍し育った人が真の学会っ子です。結局、教学、座談会こそ学会の礎であり、広布の推進力であり、一生成仏の根本原理なのであります。したがって、本当に学会を大事にし、愛し、守る人は、なにをさしおいても、私とともに血と涙と汗を流して、この伝続ある座談会と教学で戦い抜こうではありませんか。(大拍手)
 座談会推進本部は、何人かの委員で構成するつもりですが、集まった資料は将来、十年、二十年、三十年、五十年先のために、全てコンピュータにかけ、支部、地区の動向、新入信者の傾向等々、全て分析してまいります。
 そして先手先手と前進のための次の手を打っていきたい。いずれにせよ、第三文明建設を目指す私達ですから、科学的にいきたいと思います。
 決してあせる必要はない。伸びのびと自信に満ちて推進していただきたい。その際、必要なことは強い信心と団結です。次の座談会では、必ず折伏しようという祈り、そして堅い団結による効果的な折伏、このリズムが確立すれば、福運もつき、どのような願いもかない、楽しい活動が軌道に乗ってきます。
 ともあれ、今日まで創価学会が発展してきた根本は、あくまで座談会です。これは、牧口初代会長、戸田前会長以来の大原動力であり、学会の大伝続です。どのような時代がきても、ゆるがせにしては絶対にいけません。座談会を除いては他に法戦場なく、仏道修行を実践する場はあり得ない。その意味において、座談会を最も大事にし、更に大前進をしていこうではありませんか。(大拍手)
8  私達はただまっしぐらに信心の土台を築き、学会を盤石にするために努力していきたい。それが、ひいては一切の勝利につながることを確信していただきたいのです。(拍手)
 私達の目的はあくまで広宣流布であります。化儀の広宣流布には当然、多角的な活動の展開が必要である。しかし、その母体は永遠に創価学会であります。そして学会員は、その崇高な使命を実践していく地涌の菩薩であり、いわば仏さまの子供であります。したがって、公明党の議員は、世間的にはどんなに高く評価されても、決して一般学会員、また庶民に対して威張ってはいけません。一切の栄誉栄達を捨て、名聞名利をなげうって、民衆のために、公僕として働き、戦わなくてはいけない。座談会にも真っ先に駆けつけ、民衆のなかにとけこんで、折伏に励むべきが当然だと思う。このことを私は、議員の将来のために、一生成仏のために、仏法の慈悲のうえから申し上げておきたい。
9  新来者を連れてきた人を大事に
 新来者を連れてきた人を、大事にしていただきたい。その人は、新来者を幸福にさせたいと、真心をこめて努力し、座談会に連れてきたのです。連れてきた人の立ち場がなくなるようなことは、その誠意ある努力に対する冒涜であります。
 たとえ、新来者が信心に反対しようとも、連れてきた人には、心からの尊敬の念をもって、暖かく激励していかねばなりません。法華経に「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(大石寺版・妙法蓮華経並開結672㌻)とあるように、折伏している人をだれよりも大事にしていくのが当然であります。
 新来者には、じゆんじゆんと道理を尽くして御本尊の偉大さを語り、楽しく明るい座談会の雰囲気にふれさせて参加したことを喜べるようにしなければならない。それによって新来者を連れてきた人に″再び連れてこよう″という意欲をもたせることになるのです。
 あくまでも、真心と尊敬の念をもって、新来者を連れてきた人を守り、大事にしていくこと自体、仏法の偉大さを証明していくことになっているのだということを知っていただきたい。
10  座談会へ出席せずに御授戒をうけさせる場合もありうる。もちろん、あくまでも折伏は座談会が中心です。また、御授戒、御本尊送りは、新入信者を必ず座談会に出席させてから行なうのが原則であります。しかし、例外として、本人の強い要望があり、地区部長以上の幹部が適当と認めた場合だけ、座談会へ出席させずに御授戒をうけさせてもさしつかえない、という幅をもたせておきたい。
 そうしないと、たとえば日曜日に話をして、入信を決意した人の場合、土曜日まで御授戒を待つことになってしまう。また、現実問題として、特別な配慮が必要となる場合もあります。
 ただし、こうしたケースで入信し、御授戒、御本尊送りを終えた人は、必ず次の土曜日の座談会に出席させることを忘れないでほしい。そして、全員で新入信者を激励し、ともどもに、広布の前進を期していただきたいと思う。
11  会場提供の家庭には細かな配慮を
 座談会場を提供してくださる家庭には、細かな配慮をはらい、十分、礼儀を尽くしてほしい。座談会場は、理想的な和合僧の縮図であり、また法戦場です。したがって、参加した人も、和やかな雰囲気であったと喜べる会場でなければならないし、また会場提供者が、家を使用してもらってよかった、次回もぜひと心から喜んでいえるようにしてあげることが大事なのです。そのためには、細かいことですが、座談会終了後には参加者が掃除して帰ることも大切な礼儀の一つでしょう。特に幹部が気をつかうべきです。それにより会場提供者も、参加者も、ともに気持ちよく、楽しい会合を開いていくことができるといえましょう。
12  新来者がなくても同志と懇談
 たとえ新来者が座談会に出席しない場合であっても、決して落胆したり、寂しい思いをするようであってはいけません。そんなときは中心者が智恵を働かせ、参加している人と一緒に勤行したり、次の座談会の企画、折伏活動の計画を練るのもいいと思う。なかには、初信者で、いろいろ質問をもっている人がいるかもしれません。こんなときこそ膝を交えて懇談し、二時間をゆっくり過ごしたいと思っている人もいるでしょう。このように時間を活用するのもすばらしいことです。また、そういう機会に、班の実情や活動の模様をお互いに交換しあうのも、意義あることといえましょう。
 いずれにしても、都合により参加者が少数であっても、たとえ新来者の出席がなくても、座談会を流会にするようなことがあってはいけません。どのような会合であったとしても、そこに信心の血脈が脈打っておれば、その座談会は本有常住の寂光土であり、因果倶時の原理によって、次のときは立派な座談会が開けるようになることは間違いありません。
 したがって、会合のつど、真剣に、ただいま臨終の自覚に立ち、また、未来への跳躍の場と決意し、次の土曜日を楽しみに帰宅する、このようにしていくことが大事であると思うのであります。(拍手)
13  祈りと決意と確信をもって運営を
 座談会は必ず成功させねばならない。座談会は偉大なる法戦場であり、決戦場であります。故に断じて失敗に終わるような座談会であってはなりません。中心者は、座談会の盛り上がりと成功を真剣に御本尊に祈り、堅い決意と確信をもって座談会に臨み、運営していただきたい。
 担当の中心者には、立派な信心の、一流の人物を選んでもらいたいと思いますし、また一人も残らず一流の人材となっていただきたい。政治活動で忙しい議員など、そんな人はあてにしなくて結構です。本当に第一線で戦う幹部を、派遣していくべきだと思う。万一、そのような第一流の人物が、さまざまな事情でこられない場合は、自分が第一流、第一級の人材だと確信し、自信をもって座談会に臨んでください。(拍手)
 また、中心者はあらかじめ明確にしておくことが大事です。そしてまた、毎回、その中心者が変わるのも感心できません。ある程度なじみができ、お互いに気心がわかっていることが、座談会を和やかにし、楽しいものにしていく一つの要素であると思います。
 酒を飲んできた人や、ふざけ半分できたような人は、参加させないほうがいい。そのくらい威厳がなくてはいけません。座談会が、魔に乱されては絶対なりません。仏の世界であり、厳然と魔を冥伏させていくのが座談会の定理です。したがって、そのような人にはよく納得させて、次の機会にくるように話してあげていただきたい。仏道修行の道場たる座談会を権威のない、だらしのない会合にしてはなりません。
 座談会は、あくまでも″全員参加″です。一人や二人の独演会ではなく、皆がなにか発言をすることが大切であります。体験でも質問でも、率先して発言をすることがよい。だからといって、いわなくてはならないという義務づける必要はありません。ロベタな人もいます。無理に発言させるような行き方は感心しません。参加することが大事ですから、発言するしないは自由です。また、中心者は、そういう人の気持ちをに敏感に察知できる指導者でなくてはいけません。
 誰人たりとも人材である、ということを念頭においた指導、育成を忘れてはならない。だれでも、自分より優れたなんらかの力、才能、技術、手腕、行動があるものです。それを見いだすことが大事であるといえましょう。
14  近代的センスをもってさっそうと
 参加者も、中心者も、近代的センスをもって、さっそうと振る舞っていただきたい。創価学会は、世界を舞台に前進をしております。
 したがって、日本も世界も注目している。そのような時代に入った現在、十年前、二十年前の古いセンスで行動しているようではいけません。
 指導者はたまにはテレビや映画の話ぐらいできなくてはしょうがないと思います。時代とともに随縁真如の智を働かせていかなくてはなりません。信心は現当二世のためです。過去のことではなく、現在と未来が、大聖人の仏法においては大事なのです。そこに生きる指導者、魅力ある指導者、またそういう現代的な行動がなかったら、現代人は決して指導できません。現代人の心を最もひきつけるのが創価学会であり、それが価値創造です。その英知の根本は、現当二世のための御本尊です。その信心をしている中心者ならば、姿のうえにも近代的センスがあふれて、さっそうとしていなくてはならない。
15  中心者は絶対的確信に立ってリード
 中心者は、絶対的確信に立って折伏し、指導することが大事であります。その確信をもって人々を救いきり、座談会を運営していくのです。どんなに近代的センスをもっていても、信心の確信がなかったならば、画竜点睛を欠くことになる。中心者はだれよりも確信をもって、座談会をリードしなくてはなりません。
 また、中心者は、聡明であり、明朗であることが大切であります。座談会にどんなことが起ころうと、臨機応変にいくらでも手を打っていける聡明さが必要です。そうすれば皆が信頼感をもって安心して出席できます。皆はもう九時になった時計を見て、帰る時間を気にしているのに、中心者は気づかずに話を続けるようであってはなりません。もうチラッとでもだれかが時計を見たら″ああ、この人は帰りたいのだな、もう九時近い、では締めくくる方向へもっていこう″……というような賢明な判断と適切な処置が必要なのです。それくらい敏感に、なんでもすぐ手を打つような聡明な中心者であっていただきたい。そして、万が一、問題が起こったら、ただちに幹部と連絡を取り合うことも大事なことです。
 また、中心者が明朗であることが必要であり、新しい人や、近代的な人も包容していける明朗さが、座談会を魅力ある会合にするのです。
16  常識豊かな幅広い社会性を
 社会性をもち、常識豊かなことが必要であります。一般の人は、信心は別問題として、常識豊かな、社会性のある学会員の行動を見て感心し、納得するのです。いきなり仏法の深遠な哲学についてくるものではありません。まず″あの人は親切だった。よくかばってくれた。丁寧に説明してくれた。あのお宅の生活態度が立派だ。あの奥さんの相がいい。あのご主人の生活態度がいい。真面目だ。あのお子さんは快活だ"等々のことで九九㌫評価が決まるといえましょう。
 座談会にきて、その場で入信しなくても「いつでもいらっしやいね」といわれれば、またきてみたいと思う。二時間のい仏法の話よりも、その一言のほうに心を動かされる場合もあるのです。
 「よかったら、うちへ遊びにきてください。ちょうどあなたと同じくらいの娘がおりますから、信仰は別問題としても遊びにきてください」……これでもいいでしょう。こういう常識豊かな、幅広い社会性が大事なのです。
17  会場の隣近所にも十分配慮
 会場付近のことについても、十分気を配っていただきたい。駐車違反で迷惑をかけたり、夜遅くオートバイで大きな音を立てて世間のひんしゆくを買ったり、こうした非常識な行動は、法を下げることになってしまいます。だれが見ても気持ちがよい、だれが聞いても納得ができる、それが創価学会のあり方です。
 また、会場の近くに住む人達に対しては「いろいろご迷惑をおかけしておりますが、よろしくお願いいたします」とか「いつもお騒がせしてすみません」とか、簡単でも誠意のあるあいさつをしておきたいものです。そうすれば会場を提供した人に対する近所の見方も、しぜんと大きく変わってくるでしょう。創価学会への認識もいっそう深まってくることになります。
 「一切の法は皆是れ仏法」なのですから、社会を大事にすることが仏法の実践であり、大切な行為といえましょう。
18  言葉つかいは丁寧に
 言葉づかいは、どこまでも丁寧にお願いしたい。学会員同士はもちろんのこと、たとえ相手が信心反対の人であっても、礼儀を尽くし、相手を尊敬した立ち場で話をしていくべきであります。
 これまでも、一部の心ない幹部の言葉づかいのために、創価学会に失望し、組織から離れていった人がおります。私も、東大出身のある立派な人の家庭を知っておりますが、一時は一家そろって真剣に信心に励んでいたにもかかわらず、ある幹部の非常識な言動のために退転してしまった。あたら広布の人材をむだに去らせてしまったかと思うと、まことに残念な思いにかられたことがあります。
 たとえ、いかなる立ち場の人であれ、ひとたび正境に縁すれば、皆、広布の使命を担った立派なの菩薩です。仮にも一人の幹部の愚かな行為のために、尊い仏法に不信をいだかせることのないよう丁寧な言葉づかいで人に接すべきです。このことを心からお願いしておきたい。
19  格式ある庶民性
 座談会は″格式ある庶民性″をもった会合であっていただきたい。座談会が広く大衆の対話の場である以上、確かに″庶民性″という要素は大事であります。しかし、庶民性のなかにも"我が地区、我が支部の伝統の行事である″という誇りがなくてはなりません。座談会のどの場面を取り上げても、そこに学会精神が流れている。そこから根を張り、花を咲かせ、創価学会を発展させていく力強いものがなくてはならない。地区の座談会なのだから、創価学会の一部分の小さな行事にすぎないという考えは大きな誤りであります。
20  初心にかえって更に栄えていこう
 特に幹部が議員である場合″議員根性″をもって座談会場に行くことは、厳に戒めなければなりません。座談会はどこまでも信心をみがく仏道修行の根本道場です。仮にも議員根性をもって座談会を睥睨し、真面目な空気を乱すことがあれば、それは大謗法といわなければなりません。こうした行為が創価学会を崩していく元凶であると指摘しておきたい。かの社会党は、労働組合を踏み台にして議員が偉くなってしまった結果、大敗北をきしております。これは労働組合の幹部が労働貴族化し、その貴族が議員となったところに、失敗の遠因があったといえる。社会党は今「初心にかえって党を再建しよう」と全党員に呼びかけています。しかし、現実には抗争が激化し、初心にかえれないで苦悩の色を濃くしております。
 世間の団体は、いつの場合でも戦いに敗れてから「初心にかえろう!」と叫ぶ。しかし私は、同志の皆さん方のために、戦いに勝った今「初心にかえって更に栄えていこう」と呼びかけたい。私どもは、広布達成までこのたくましい前進をしてまいりたいと思うのですが、いかがでしょうか。(大拍手)
21  どこまでも学会を守る人に
 世間的に偉くなった人が仏法、信心を壊していく恐れがあることを注意しなければならない。議員とか、社会的な地位を得た人が名聞名利に流されて、この美しい和合僧団を、令法久住の清らかな哲学を破壊していくのです。五老僧が、仏法を破壊した事実を決して過去のこととして見過ごしてはならないと思います。
 いつの時代でも、いかなる団体でも、指導者が名聞名利に走ったために、衰亡していった方程式は変わりません。しかし日蓮正宗創価学会だけは、前代未聞の戦いをなし、末法万年尽未来際まで、絶対に純粋なる信心を守りきり、この大法を永違ならしめていただきたいのであります。(拍手)
 大勢の幹部のなかには、議員という権威をカサにきて、真実の信心、学会精神というものを踏みたがえていく者が、将来、出るかもしれません。皆さん方はそういう悪い幹部には、絶対に従ってはなりません。どこまでも、創価学会を守る人になっていただきたい。(拍手)
 永遠の福運を積み一生成仏するためには、創価学会を守る以外にないのです。創価学会が栄えないで、他の繁栄はあり得ません。創価学会のことを二の次にして、どんなに努力してみても、その戦いは使命を忘れた利己主義の名聞名利で全部失敗します。世間には「信心さえなければ創価学会は好きなのだが」という人がいます。しかし、それは、学会を自分達の。ベースに巻き込んで破壊していこうとする魔の所作にほかなりません。私どもは、あらゆる点で創価学会のことを最優先させ、これを守り、そして見事に発展させていこうではありませんか。(拍手)
22  男女青年部は部隊座談会を月一回
 男女青年部の各部隊においても、部隊座談会を月に一回開くことにし、その報告も、きちっととることを提案いたします。青年らしい若さと英知にみなぎったたくましい座談会を開いていただきたい。そして、この部隊座談会を核にして、部員増加を推進し、妙法広布の革命児をどんどん輩出させていただきたいと切望します。
 座談会を中心に着実な折伏の駒を進めてまいりましょう。今、戦っておかないと、将来必ず行き詰まってしまいます。
 日々の活動のなかにも、信心の喜び、信心の前進の輝き、これだけは失ってはなりません。折伏を進めながら、信心で一家を盤石にさせて″これ以上の幸せはない″という実証を、生活のうえに示していっていただきたい。世間の誹謗や中傷に、絶対、紛動されることなく、堂堂たる信心で、栄光の道をまっしぐらに進まれんことを心から祈っております。(大拍手)

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