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日蓮大聖人・池田大作

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山口大会・島根大会・広島商科大会・下関… 王仏冥合は歴史的必然

1969.3.8 「池田大作講演集」第1巻

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5  中国・日本における仏法興廃
 次に、中国にわたって、天台大師の像法時代の法体の広宣流布についてふれておきたい。天台大師は、ご承知の通り、陳の皇帝の前で公場対決し、南三北七の各宗派を打ち破っている。しかし、その陳も、第五代の後主の時にいたり、仏教をなおざりにし、奢侈遊宴にふけって隋に滅ぼされた。
 この隋については、だが、まだ帝位につくまえですが、天台に帰依し、授戒をうけております。隋はそれ以前、三百数十年にわたって分裂を続けてきた中国を統一しているのです。これが天台による南三北七の論破、仏教界の統一と軌を一つにしている。更に、焬帝の力なくして、万里の長城や大運河の構築などは、ありえなかったであろうとまでいわれている。これらは法華経守護の功徳といえましょう。
 焬帝自身は、後世、悪王の名を付されておりますし、仏法のうえからいっても、完全な法華経の信者とはいいきれないかもしれないが、最高権力者が帰依したことにより、一般民衆のなかに、法華経を受け入れる土壤ができ、定着していったと考えられる。
 隋王朝自体は、長続きしないで滅んでおります。その原因は、一つには、たび重なる土木事業や違征による財政的破綻、第二は過激な改革による人心の離反があげられます。更に本質的には、焬帝は太子時代に天台から授戒をうけたとはいえ、それは利用信心の面が強く、晩年は道士などに頼ったりしたこともあげられましょう。
 いずれにせよ、迹門の法華経は、中国民衆に根を張り、世界的な唐文化を生み出す本源となったのです。唐の領土は最大に拡大され、当時の都・長安は、有名なシルクロードを通って世界の民族が来訪し、世界史上類例のない、国際都市の観を呈したといわれている。
 一方、日本においては、平安時代、伝教大師が法華経迹門の化儀の広宣流布を実現した。すなわち、京都に都を移した武天皇が、六宗の帰依を捨て、天台に帰伏し、華麗な平安朝文化の基礎を築いたのです。かな文字の発明、和歌、日記文学等のめざましい振興をはじめとして、平安朝文化は、大陸文化移入後最初の、世界に誇る日本独特の文化の粋といえましょう。
 これらに対し、キリスト教を根底とした西洋では、残虐悲惨の歴史が繰り返されてしまったことは諸君も周知の通りです。西洋の歴史は戦争につぐ戦争です。極端な例でいえば、ユダヤ人を大量虐殺した、かのナチスのヒトラーは、性格異常者とはいえ、熱心なキリスト教信者であったという。
 また共産主義も、同じく冷血、非情、残虐の歴史です。レーニン、スターリンは、いずれも激しい権力争いの末に政権を握り、徹底的な粛清で、恐怖政治を行っております。
6  人類救う第三の思想
 結論していうならば、正法をした指導者は、いずれも人間性を根幹とした政治を具現しているのに対し、キリスト教や共産主義の場合は、それができない。結局、長い目で見るならば、世界平和を実現し、社会を繁栄させ、個人を救うのは、第三の思想、大聖人の三大秘法の哲理以外にないのです。
 特に現代は、釈迦在世、正法・像法時代の、貴族など上層階級を中心とした王仏冥合実現とは根本的に異なり、主権在民である故に、真の王仏冥合実現が可能なのです。その歴史的必然性を説く仏法史観が新しく興隆し、完全に定着する時代であることを知ってほしい。
 学会に対する批判は、感情的なものが非常に多い。批判のための批判ならだれでもできることだ。″アンチ学会"の評論家らの批判をした場合、いずれもその内容が非常に浅薄であることは諸君が知悉している通りである。
 批判というものは、なにごとにせよその本質を見きわめたうえでなされなければならないことはいうまでもない。そして真の批判には、必ずその裏づけとなる理念と哲学がなくてはならないし、それを生活のうえに実証する力が必要なのです。理念・哲学のない感情的な批判は″信なき言論、煙のごとし″で、ナンセンスである。
 こういう厳しい目で、全ての思想・哲学に分析を加えるならば、この正法を除いて、生活に直結した偉大な思想・哲学は、どこにもないといっても過言ではない。諸君は今、その偉大な哲学を信奉しているのです。これから十年、二十年、三十年と戦い、総仕上げしていく私どもの使命と責任は、想像を絶するものがある。その意味で諸君の信念の裏づけとしておきたいために、きようは仏法史観の一端を述べさせていただきました。

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