Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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東北本部幹部会 広布は時代の潮流

1968.3.25 「池田大作講演集」第1巻

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7  清き信心の一念が時代の潮流を動かしていく
 最後に日眼女造立釈仏供養事の一節を拝読したい。
 「頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき」と。
 「頭をふればゆるぐ」――頭をふれば、当然、髪の毛は揺れる。「心はたらけば身うごく」とは、私達は、こうしたい、ああしたいという願望、または、こうしなくてはいけない、こうしようといった義務感、決意等々、心の働きをもとに行動することは当然であります。
 「大風吹けば草木しづかならず」――大風が吹けば、草木は当然大きく揺れていく。「大地うごけば」とは地震であります。「大海さはがし」――地震が起これば、当然、波が高まり、津波とか高波が起こってくる。
 ちようどこのように「教主釈尊をうごかし奉れば」――ここで、教主釈尊とは、末法今時においては、日蓮大聖人のことであり、すなわち大御本尊のことであります。したがって「教主釈尊をうごかす」とは、私どもの信力そして行力によって、仏力・法力を湧現していくことである。仏力法力とは大御本尊のお力であります。
 すなわち、八万法蔵の極理である大御本尊を根本として、信心強盛に進むならば、「ゆるがぬ革木やあるべきさわがぬ水やあるべき」――つまり、一切の社会環境を、私達の進む方向へ、自由に動かしていくことができる。清き信心の一念があれば、大自然をも動かしていけるとの、力強い御文なのであります。
 この道理、法理からいっても、私達の一念によって、時代の潮流をも動かしていくことができることは、当然のこととなってくるのであります。
 今、私達が当面している参院選は、かつてない激戦であることは、周知に事実であります。この厳しい現実を直視し、たくましく、聡明に打開していこうとするところに、真実の王仏冥合の実践の意義があることを知っていただきたい。
 現実がいかに厳しくても、信心があれば必ず打開できる。仏の御金言に絶対に虚はありません。どうか、この御文を深く強く確信して、ともどもに信心の大風を起こし、信心の大地を揺り動かし、社会の草木をなびかせ、新時代の大波をつくってまいろうではありませんか。(拍手)
 皆さん方のご健康と、ご一家の繁栄とを心からお祈り申し上げまして、私の話といたします。(拍手)

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