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日蓮大聖人・池田大作

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九州本部部会 広布の主体者たれ

1968.3.18 「池田大作講演集」第1巻

前後
8  また、その教授は、ドイツの哲学者カントの例を引き「かれは他人に対しては幸福を望んだが、自己に対して完全性ということをその努力の目標とすべきであると考えた」ともいっております。
 私どもの立ち場でいうならば「自己の完全性」とは人間革命であり、一生成仏といえましょう。更に「他人に対して幸福を望む」ということは、人々を幸福にしようとする慈悲の折伏行であり、民衆救済、大衆福祉の実現といえます。また、それ以外にカントのいわんとした理想の実体は考えられないのであります。
 したがって私どもは一生成仏、王仏冥合実現のため、不惜身命の決意と、実践をなしていくところにこそ、過去の哲学者が指摘し、理想とした、真実最高の幸福の実体があることを自覚して、誇り高く人生をし、若武者のごとく次の目標にしていこうではありませんか。(拍手)
9  広宣流布は″人″によって決まり、人によって実現
 最後に百六箇抄の一節を引用したい。それは「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」の文であります。「法自ら弘まらず」とは、いかに正しい宗教であっても、大白法であっても、なにもしないで弘まるわけがないという仰せなのであります。広宣流布は、根本においては、ご仏智であることは当然である。しかし、これをし成就していく直接の原動力は、弘めるべき人であり、これなくしては、絶対に広宣流布はできないとの仰せなのであります。
 したがって「人法を弘むる故に人法ともに尊し」と結論されているのです。人が法を弘めるが故に、その弘める人も、人間革命され、尊い存在となる。またそれによって、正法が燦然と輝きを増していくとのご遺言なのであります。
 折伏なくして、また広宣流布の諸活動なくして、人間革命はなく、正法の偉大な力を実証することはできない。
 広宣流布は必ず人によって決まり、人によって進められ、人によって実現していくのであります。その御文によっても、日夜、折伏に、指導にと活躍している私どもこそ、広宣流布の主体者であり、仏法の主体者となるということを知っていただきたい。(拍手)
 したがって、広宣流布の舞台を、更に開いていくか否かは、私どもの一念が決していくことはあります。幹部の私どもの″人″によって決まっていくことも明確であります。まことにありがたい御文であり、また身の引き締まる厳しい御文でもあります。
 いよいよ広宣流布の大事な峠がやってまいりました。私どもは、今こそ永遠の大福運を積む時であり、法のため、人のため、平和のために立つべき時と決然と自覚して戦い、ともに我が生命のなかに、広宣流布の戦いの日記帳に、金文字の勝利の記録をつづっていけるように頑張っていこうではありませんか。(拍手)
 皆さん方のご健闘と、ご繁栄をお祈り申し上げまして、私の話とさせていただきます。(拍手)

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