Nichiren・Ikeda
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第17回男子部総会
諸君の手で一切の総仕上げを
1968.11.17 「池田大作講演集」第1巻
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10 第四に『きたるべき世紀の主体者は、若くして妙法を受持する、今の青年諸君である』
私も会長に就任して、来年は十年目を迎えようとしている。諸君への一切の訓練は終わったつもりです。諸君も″卒業した″という自覚に立って、今後の戦いに臨んでいただきたい。
十年といえば、中学三年間、高校三年間、そして大学四年間の合計十年と同じである。したがって、広宣流布の一切の総仕上げは、全ての訓練をうけた諸君の手でやっていただきたい。これが私のいつわらざる心境であることを知ってほしいのであります。(大拍手)
諸君の主体となるべきものは妙法である。妙法の組織を離れて、主体者として育つことは絶対にできない。組織に生き、組織を身をもって守り、和合僧の実践者とならなければならない。私達のこの尊貴な組織は、広宣流布を容易にするための唯一の効果的な組織であり、全学会員の成仏のための組織であります。
断じて、幹部が威張るための組織でもなければ、なにかを強制するための組織でもない。また要領をつかう組織でも、卑屈にへつらうための組織でも決してない。皆が安心して、撥剌と信心に励むための組織であります。
これに対し、他のあらゆる団体の組織は官僚主義の悪弊を免れなかった。また現に免れていないことは明らかです。いかなる善意の組織といえども、その主体が妙法なき凡夫であったが故に、そうした悪弊を回避することができなかった。
学会が妙法を主体とする組織である以上、いかなる人といえども御本尊の前においては、ことごとく平等であるはずであります。慈悲広大の仏は決して差別を好まない。私達の組織に役職があるのは、成仏への脱落者をつくらず、全員が幸福への直道を進み、強固な団結をもって、魔との戦いにことごとく勝利するためであるということを、私は未来のために遺言として申し上げておきたいのであります。(拍手)
11 第五に『未来に希望を実現する諸君の確信に満ちた人生は、確信に満ちた信心よりおこるものである』
信心にはウソがあってはならない。惰弱であったり、虚飾があってはならない。いかなる難に立ち向かおうとも、真面目に妙法を実践する信心の深さ、強さだけが、確信に満ちた人生を築くであろう、と私は申し上げたい。
日蓮大聖人は、ご在世当時の模範とすべき青年弟子の一人、南条時光に次のようなお手紙をくださっております。「抑今の時・法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり、此れはいかなる時も・つねは・たいせずとわせ給えば水のごとく信ぜさせ給へるかたうとし・たうとし」と。
広宣流布の潮は、今、とうとうと水音高く流れ始めております。とうとうとして流れ始めた時代を迎えたともいえる。青年部の諸君の一人一人の信心の水は、やがて大河となり、全ての三障四魔を破るべき勢いをもって流れていくでありましょうし、流れきっていっていただきたいのであります。(拍手)
それには一人一人の信心の水の流れが大事である。一人一人の信心の水の流れを断じて止めてはなりません。(拍手)
現下の世界にあって、多くの前途ある青年が、残念にも妙法を知らず、現代社会に対する不満から、自らを破壊のための起爆剤として身をさらしている。これこそ末法の様相極まれりというべきであり、広宣流布の近きを示す瑞相でもある、と私はいいたいのであります。(拍手)
妙法を主体とする青年部の諸君! きたるべき新世紀の建設の大舞台に、私と苦楽をともにし、再び精魂をかたむけて戦い進んでください。(大拍手)
最後に日達上人貎下のいよいよご健勝であられますことを、全信徒に代わって心よりお祈り申し上げ、我が愛する弟子、実質の学会の後継者である諸君の人生の前途に、栄光よ輝きわたれと念じつつ、私の話を終わる次第であります。(大拍手)