Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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輝ける”勝利の年”を展望する  

1965.1.1 「会長講演集」第12巻

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22  認識から理解へ
 会長 認識は理解の第一歩です。こちらの本質を、だんだんわきまえるようになってくるでしょう。思想、哲学、宗教は、高きより低きに流れる水のように、絶対必然な人に、国にたどりつくのはとうぜんの理だ。宗教は国境があるはずはない。侵略などといえば、日本の国にも、キリスト教、マホメット教、共産思想がはいってきている。そんな幼児のような批判など問題外でしょう。
 秋谷 たしかに認識もせずに、皮相的観察だけできらうのは感情だし、ちっとも寛容ではありません。
 石田 批判記事自体のほうが、よほど排他的といえるのではないですか。
 会長 海外の活動については、ごく自発的だし、指導も現地の強い要望によって行なわれるようになったのだから。大聖人様の仏法は一閻浮提の仏法なのだから、世界じゅうの人々が求めるのは必然です。
 それに、日本は邪智謗法の国だが、外国は無智悪国であり、摂受でいいのです。それは折伏の中の摂受になるのです。
 海外については、とくに、けっしてむりをして、事件を起こすようなことがあってはならない。それぞれの国情に応じて、現在、信心している人が、まず功徳をうけ、幸福生活を実施していけばそれでよい。
 北条 公明党結成によって、だいぶ敏感になっている国もあるようですが。
 会長 王仏冥合の政治活動については、とくに日本の国の国内政治の問題であって、海外では、いっさい行なわないと明言している。海外においては国情も違うのだから、その国の法律に従って、個人個人が幸福になることが根本です。現地の人が自主的に活動していくことが望ましいことです。
 秋谷 日本の場合と違って、海外は言論によって伝えられることが多いので、上層部から伝わっていく傾向があるように思いますが。
 会長 だから、日本での誹謗記事を土台にされた点は、日本にとっても大きな損失です。もう一面からいえば、外国の場合、上層部から理解が進み、理解が深まれば深まるほどひろまるのは早いともいえます。
 いずれにしても、一年ごとに創価学会は世界的になる時代にはいったといえるでしょう。ことしもまた世界を回ろうではないか、後輩の道を開くために。
 北条 ぜひお願いします。(笑い)
23  経済情勢について
 秋谷 ことしの日本の社会的条件ですが、経済的にひじょうな不況がくるのではないかといわれていますが。
 会長 一昨年暮れの預金準備率の引き上げ、昨年三月の公定歩合引き上げによる金融引き締めで、国際収支の改善を図ったが、内外の金融経済情勢はきわめてきびしい。今春には金融緩和政策が多少進められるだろうが、それほど期待できるものではないし、とくに上半期は悪いのではないかと思う。
 北条 明らかに池田内閣の失政ですね。わが国経済は、開放体制にはいって、一方では過去の高度成長の生んだ物価上昇をはじめとして、人手不足、公共投資の遅れ、それに中小企業や、農業の生産性の停滞等、多くのひずみをかかえ、ひずみ是正をうたっているけれども、きわめて深刻な状態です。
 秋谷 昨年の倒産は、九月までで三千三百件、十一月には、一か月で五百数十件、それも一千万円以上ですから、それ以下の零細企業まで入れたらたいへんな数です。ふつうだったら暴動が起きます。
 会長 日本経済には土壌が確立されていない。いまの日本の経済競争は過当競争です。感情で動いてしまう。
 大衆福祉とか、経済成長なども、正常な全体観に立って繁栄というものは、つゆほども考えていない。だから金融機関だって、もうかれば貸すし、もうからなければ見殺しにしてしまう。無慈悲きわまるものです。これでは、ほんとうに社会の繁栄、確立はできません。
 北条 たしかに全体観といいますか、国全体という考えはまったくなしに、二、三年すれば、たちまち市場があふれてしまうことがわかっていてもむりやりな過当競争をやっています。
 会長
 この間の歩みは、財界もずいぶんがんばったといいますけれども、ほんとうは政府と官僚が強力なテコ入れをしながら外国の技術導入にたよったのであり、ずいぶん背伸びをしているという感じです。
 会長 そうですね。
 石田 日本経済としては、いちおう形の上で、欧米諸国の二流どころへははいったかもしれないが、ことしからは、いよいよ独自の立ち場で、確立されなければならない時代にはいったといえます。
 北条 たしかに、これ以上は、日本全体をどうするか、政治に対する経済をどうするかという根本問題と取り組まなければ、解決できない段階がきていると思います。
 会長 設備投資がありすぎましたね。それに消費がともなわなくなってきています。もう一つは、まじめにやってきたところは、なんとか切り抜ける可能性があるが、ふまじめなところは淘汰されていく段階にはいった。
 それから政治と経済の関係は「政経一致」ではいけない。財界人が政治家を動かす。政治家は財界人にまったくたよりきっている。そこに大きな日本の誤りがある。経済界は経済界、宗教界は宗教界、教育界は教育界として、最高の繁栄というか、成長というか、そのための政治でなくではならない。そこにいまのアンバランスがあるのです。「政経冥合」すればいいのです。
 北条 あらゆる分野が、王仏冥合にならなければならないのですね。
 会長 公明党で提唱する経済統合本部も、冥合の原理によるのでなければならない。
 北条 昔の統制経済とは、ぜんぜん違うわけです。
 会長 ある財界人がいうのには「日本の経済なんか操作の如何で、いくらでも自由になってしまう」――こわいことです。ほんとうに土壌が確立していない。それにはどうしたらよいか。やはり、ひとりひとりの人間革命です、自覚です。
 秋谷 その点からいえば、いわゆる消費ブームというものが、オリンピックを頂点として消えていった。ここでもう一度、冷静に、日本全体が経済問題を中心に、宗教を求める必然性を自覚しなければならなくなったといえるでしょうか。
 会長 そうです。ますます信仰が必要になってきました。事業即宗教でなくてはなりません。宗教をもったものが事業をしなくてはならない。事業は金もうけだけすればよいのだという時代は過ぎました。その意味から、心ある人は、どうしても根本に大思想、大宗教、大哲学をもった上での行き方をしなくてはならない。
 人間革命が根本です。社会観、事業観、それから人生観を確立することです。仏法は体、世法は影です。だからといって、その影の、環境、機構をおろそかにするものではありません。けれども、それが実っていくためへの根っこをしっかり確立していかなくてはだめです。
 いずれにしても、根本は人間革命、その上に機構改革です。いわゆる政治革命、経済革命を同時にやっていくくらい、民衆が気力をもち、賢明になっていくことです。
 そう政治家にしても、科学者にしても、実業家にしても、みんな、だんだんにわかりつつある瑞相の経済情勢、世界情勢といっても、けっして過言ではありません。
 信心をもっている人は、あくまで、信心即社会、信心即事業であるがゆえに、福運と智慧とを御本尊様にちょうだいして、偉大なる社会人として、ゆうゆうと自分のなすべき仕事、境遇に、ことしも勝ちきってもらいたいと願っています。
 秋谷 どうもありがとうこざいました。

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