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日蓮大聖人・池田大作

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輝ける”勝利の年”を展望する  

1965.1.1 「会長講演集」第12巻

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1  秋谷 今年度の学会の展望を概略お願いします。
 北条 第一に「班一世帯の達成」第二に「座談会の推進」第三に「各部の充実」とくにこの三点になりますね。
 石田 参院選が六月にあります。十月には、正本堂の御供養があります。学会全体としての御供養はこれが最後となりますが、おおいにがんばりましょう。
 北条 ことによると、衆院選も秋にあるかもしれない。緊張はゆるめることはできないわけです。
 秋谷 東京をはじめ、全国各拠点の文化祭の開催も理事会で決定されました。また、いずれの時代でも、人材の育成は変わることはありません。青年部からも未来の大人材をぞくぞく送れるよう、ことしは、とくに懸命にがんばりたいと思います。
2  座談会こそ学会の伝統
 秋谷 今年度の具体的な三大方針は、すでに出されておりますが、とくに大切なのは座談会の充実であると思いますが。
 会長 これはしっかりやりましょう。わが学会は大船です。大船は海が必要だ。座談会こそ、この民衆救済の大船を動かす波であり、海です。まず理事室が率先して、月最低十五回は座談会に出席する。十五日というわけは、多忙で行けないでしょうから、最低十五回は、かならず出る。
 それで、月の初め、月末におのおの幹部会などの行事はすべてすませてしまう。あとは第一線の座談会に出て行く、こうしようではないですか。私も真剣に出席したい。だが、これは前理事長にも話したのですが、家をこわしてしまう。かえって一部のみ、大騒ぎさせ、価値のない場合をつくってしまう。ですから私は震源地になっていきますと…‥。
 なんといっても、大幹部が率先して、座談会に行くことです。それ以外、日本全国の座談会は盛り上がらない。
 座談会こそ、もっとも民主的であり、もっとも根強くて、つねに庶民と接触できて、信心根本の人間と人間とのふれあいのできる集まりです。これほど尊く、強いものはありません。創価学会の伝統こそ座談会です。
 これを軽視することは仏法上で罰をうけます。和合僧の形成を軽視することにつうじますから。
3  民主主義の典型
 そこで、いろいろと信心の問題、哲学の問題、人生の問題、生活の問題、政治、経済、教育の問題等を、おたがいに納得のいくまで話し合う。それ自体がいっさいの社会、世界の縮図ではないですか。そこには女中さんもいる。会社の社長もいる。大学の教授もいる。おまわりさんもいる。政治家もいる。主婦も、学生も。そこで討議したものが、いちばん正しいものであり、民主主義の典型です。それを日本に確立しきれば、真実の民主主義のいっさいの土台は完ぺきになります。
 ことしは私も、会長講演集の第十一巻を、いままで座談会場とされていた班長さん宅を中心に、その人たちに「常仏土」と書いて一冊ずつ贈呈したいと思っております。
 秋谷 たしかに、家を座談会場に使えるように、なんとか広げたいという真心が、今日まで学会を推進してきた大きな源泉ですね。
4  ご説法の大革命
 会長 功徳は絶対にあります。座談会の会場に家を開放するというのは、なかなかたいへんなことです。電気料もたいへんだし、便所も、家の中もいろいろよごれるわけです。それを法華経の行者のために、仏道修行の道場とーそ会場を提供したことは大きな功徳があります。その人はりっぱな大信者です。
 大聖人様も辻説法などはしていない。どこにも、そんな記録はありません。御書にもない。
 じっさいには座談会形式で曾谷入道の家とか、または富木常忍の家とか、または大聖人様の草庵などでご説法あそばされたと思われる。あの当時としては、ご説法の大革命といえます。
 だいたい鎌倉時代前には、多くの坊主は武家の師匠であった。ですから権力の座にすわって上から説教していた。また人気商売みたいに、辻説法しながら歩いていた坊主もかなりいた。
 結局は民衆とのまじめな直結はない。ぜんぜんかけはなれていた。念仏なんかは、庶民的なかっこうを見せて、わりあい人気をとったのです。いまでいえば政治家でしょう。選挙と同じようなものです。その時だけは衆生済度のようなうまい話をして、最後は皆骨抜きにしてしまう。そして権力者に迎合し、みずからを安泰にするため、権力者には奉仕し、民衆は、地獄に突き落としてしまう。すべての邪宗教のやりかたです。その伝統は今日でも残っています。
5  娯楽でつる念仏
 秋谷 レクリエーション的な要素が強かったような一面も、あるのではないでしょうか。
 会長 それは、そういえます。
 秋谷 いまでも「講」などつくって、部落なら部落の中で飲み食いするのを楽しみに集まっているところがありますが。
 会長 それはあります。念仏なんかほとんどそうでしょう。そこで人生の問題、生活確立の問題を真剣に話し合うのではなくして、遊びのために集まってくる。すでに堕落の行き方です。敗北者の集まりです。いまの邪宗教のやりかた、政治家のやりかたは民衆を幸福に指導するのではなく堕落させるだけです。
 買収や収賄が、ぜんぶそういう心から出てきているのです。そうでしょう。
 石田 じっさい、あのころの記録をみてみますと、大きなジュズを回しながら念仏を唱えていた。まるで遊戯です。
 会長 当時の農民たちは、百姓ばかりやっているのでは楽しみがない。その百姓たちの心理をとらえるために、宗教にかこつけ、ひとつのトリックを考えたわけです。無知な百姓たちも、策略とは知らず、新しい生きがいを兄いだそうと思って集まってきた。しかし、正しい人生の生きがいではけっしてなく、娯楽ばかりやったり、飲み食いのみに終始し、おどらされてしまった。
 石田 いまの政治講演会みたいなものです。
 会長 そうです。政治講演会は従にして、落語をやったり、映画、歌謡曲などを主にして人をだましている。だまされるほうも悪い。
6  座談会へ行こう
 私どもは座談会を根本に前進してまいりましょう。これさえ完全に実行、推進されていけば、創価学会はポ酪都です。二十幾万の座談会場のギアが故障なく回れば、じみで、遅々としているようですが、確実に、着実に、大発展をもたらしていることにつうじます。
 何千、何万のおおせいの人々の前の講演会も大事な時もある。しかし、それらのみにとらわれてしまっては、幹部と会員、指導者と民衆はしだいに離れていってしまう。それを防ぐ道はただ一つ座談会の盛り上げ以外に断じてない。大事の中の大事こそ、幹部が”ひとり立て”の決意に燃えて座談会の法戦場で指揮、指導をなすことです。
 膚と膚、心と心、自身が後輩、同志とじかに接触しなければならない。この時こそ、役職も職業も、権威も抜きにして、燃え上がる信心、慈悲心でぶつかっていくことです。ある時はやさしく、ある時は楽しく、ある時は納得のいくまで、静かに、ある時は忍耐強く、ある時は大確信に満ちみちて、その人の悩み、生活等をどこまでも解こうとする熱意、誠実、これを忘れてはならない。こうした血のつながりをもたなかったら、組織は画餅に等しい。他の団体、世界はこれができないから弱いのです。
7  折伏は”班一世帯”目標に
 秋谷 その座談会の結果として「班一世帯の達成」ということになると思いますが……。
 会長 昨年と同じく、本年も班一世帯の完遂を目標にまいりましょう。
 秋谷 だいたい昨年いっぱいで班一世帯のことは、よく徹底したように思いますが……。
 会長 そうですね。よく皆がんばりましたね。班毒帯といっても、月十万世帯の計算になります。たいへんなことです。なお指導の月は、班一世帯ということにとらわれる必要はありません。
 目下、国内で五百十八万世帯となりました。この人たちを、りっぱな大信者になるまで、指導しきることがもっとも大事です。この人たちが成長して、学会精神がわかれば、みずからつぎの折伏戦に向かいます。
 ことしは参院選もある。しかし、けっしてあせらず、班一世帯を目標に戦っていけば、絶対に勝てないわけがない。事故のないよう、非常識な、反価値になるような行為はけっしてあってはいけない。ひとりの迷惑が学会全体の人々に迷惑になることを自覚していただきたい。
 北条 それで、大幹部がやはり座談会に出て、しみじみ座談会のよさを再確認してきたのです。”やらなくちゃいけない”と。
 会長 勤行、生活、事業、商売、そして座談会と、リズム正しい信心即生活を、この一年間運営し、活動しきっていただきたい。これが私の願望です。
 寝不足して衝突事故など起こしてはいけない。これこそ法を下げてしまう。おたがいに大事な生命です。昼間、居眠りなどして、上役にとがめられるのも社会的に敗北です。長い長い妙法広布への旅路です。リズム正しい毎日であっていただきたい。
 夜の会合は九時半、これを厳守。選挙があろうが、なにがあろうが、九時半終了を守ることです。あとは本部としては責任はもてません。一日一日を生き生きと、価値創造していくのが信心の目的です。
8  王仏冥合の関所「参院選」
 北条 本年前半期の山は、なんといっても、六月の参院選ですね。
 石田 絶対に勝たねばならね一戦ですね。
 秋谷 前理事長の弔い合戦ですから。
 会長 王仏冥合の前進の関所だ。公明党になっての、第一回戦でもある。皆力を合わせて、勝利で終わろう。そして、議員の人々に、真剣に、日本の政治革命のために働いてもらおう。みんなが安心し、楽しく暮らしていける社会を築いてもらうために。
 ただ私は、支援の人々が、真剣なあまり事故を起こすことを悲しむのです。だれひとり、事故なく、ゆうゆうとした選挙であっていただきたい。
 寝不足したり、非常識な行動をしたり、交通事故を起こしたり、選挙違反をしたりということは、絶対にあってはいけない。公明党の人々、候補の人々こそ、全力をあげて戦っていただきたい。学会以外の方々の、大いなる支援、支持をうけられるよう奮闘していくべきです。
9  各部の充実と個人の成長
 秋谷 あと、各部の充実ということですが。
 会長 各部が充実すれば、とうぜん学会全体が充実するわけです。その内容は個人個人の充実、成長に帰着します。いずれにしても、ひとりひとりが信心をみがき、功徳、福運を積んでいくことです。そして、社会の力ある人材となることです。いずれの社会に進出しても、異彩を放ち、信頼される指導者に巣立ち、活躍していくことです。
 各部の第一は地方本部。つぎに各支部、婦人部。第二には青年部。分けて男子部、女子部、学生部。第三には文化局、すなわち教育部、学術部、芸術部、経済部等がある。第四には登山部、財務部、各運営委員会等も含まれることになるでしょう。
 各部とも、本部の決定、指示を待つのではなく、各部長を中心に、自主的に下から盛り上げていっていただきたいのです。民主的に、全員がもっとも喜び、全員がもっとも有意義に活動、成長できるように――。おのおのの個性、特色を最大限に発揮させてください。
 八月の講習会には、支部壮年部、婦人部、男子部、女子部と、それぞれの部に分かれて行なわれる予定になっております。
10  各部の特色生かし
 男子部は男子部の特色、使命がある。そして活動方針がある。女子部は女子部としての特色があり、方針がある。支部も、婦人部も、これに準じて考えられます。また芸術部は、芸術家のつどいであり、その特色を尊重し、信心根本に団結していく。他の文化局の部もこれと同じです。この各部の充実、団結が地方本部、学会本部を中心に協調、調和されていくわけです。
 この各部の充実の具体的実施は、七月以後、下半期にカを入れていくことになると思います。
 秋谷 いわゆる、タテ線の組織も各部が中心に含まれるわけですね。
 会長 そうです。地区も、班も、組も支部に。区も、班も、組も、女子部に。従来となんら変ゎらないわけですが、ことしは徹底、充実させようという意味なのです。とくに上半期において。
 秋谷 婦人部についてひとこと。
 会長 家庭をしっかり守りながら、楽しい学会活動をしていただきたい。つねに一家の安穏の柱であっていただきたい。主人を元気で活動させるのも主婦の信心。子供をのびのびと成長させていくのも、主婦の大事な責任です。一家の軸ともいえる。信心を強盛に、賢明な明るい婦人として、一家和楽を成就しきっていただきたい。そして、じみでも、粘り強く、壮年部の、青年部の、また学会全体の強きいしずえであっていただきたい。
 秋谷 男子部にひとこと。
 会長 男子部こそ、次の学会のにないてであり、広布の旗手だ、しっかり勉強し、努力し、この一年の、大成長を期待している。政治の世界、つぎに計画している創価大学の創立の時の教授陣、そのほか、あらゆる分野の指導者が一年ごとに必要にせまられている。先輩が倒れても、最後は、男子部の諸君が、ぜんぶバトンを受け取り、総仕上げをするのだ。青年部こそ人材の宝庫だ。自重し、だれびとたりとも、かならず大使命ありの自覚で、希望に燃えて前進することです。
 年配者を大事にし、明朗な、力ある、そして礼儀を知る、青年指導者であっていただきたい。理事室陣営に、多数の青年部がはいったことは、学会の希望であり、日本の絶対の強みだ。年配者も、心から期待をかけている。一年間、しっかり勤行し、責務をまっとうして、大いなる人間革命の年にしていただきたい。私も男子部に絶大なる期待をかけています。
11  福運積み成長を
 秋谷 女子にもひとつ。
 会長 一年間は、長いようで短く、短いようで長いものです。一年間の信心向上で、すぼらしく、福運を積み、成長している女子部もたくさんいる。その半面、一年間の退転で、寂しい、かわいそうな、人生に落ちいく人も、数多くみられる。一年間が、大事な将来の、幸。不幸の基礎を築き上げていく戦いと思って、がんばりきることです。
 つねに若さを失なわないこと。つねにリズム正しい生き方をくふうしていくこと。つねに、どんないやなことがあっても、ただ題目を忘れぬことです。
 とくに、結婚問題は、両親、また良き先輩に自由に相談して、幸福で、皆に祝福されていけるようにすべきです。なお幸・不幸は、けっして結婚の年齢によって決まるものではない。あせらず、楽しく、信心活動によって、福運を積んでいくことこそ肝要でしょう。
12  個人の成長
 北条 文化局の各部などは、本部の方針にのっとって力を入れれば、ずいぶんよくなりますね。
 会長 そう思います。学会は世界一幅広い階層、民衆から構成されている。そして、世界一根深い、信心根本によって団結されているわけです。王仏冥合実現のため、さらに各個人の力量、才能を信心源泉に発揮され、社会に羽ばたいてもらいたいわけです。
 幹部は、とくに後輩を大事にし、自信をもたせ、大人材に育てよう、育てきろうという熱意あふるる指導を願いたい。いささかも権威や、感情や、命令であってはならぬ。
 秋谷 そこで、こんどは会員のひとりひとりにとってみると、どうしたら人材になれるかということが、いちばん切実な問題だと思うのですが……。
 会長 私だって平凡な三日年だった、いまでもそうだが(笑い)。青年部長だって、青白い、肺病の、使いものになりそうもない青年だったではないか(笑い)。理事長だって、石田主幹だって、大同小異、われわれと同じだったろう(笑い)。自分がいちばんよく知っている。だれだって、人間にたいした差はない。あとは本人の努力しだいで決定されるわけです。
 「雪山に飛ぶ鳥は金色となる」と御書にあります。大御本尊受持の人にあてはめたご聖訓でしょう。使命のない、人材でない、地滴の菩薩が出現するわけがない。しょせん本人の信心、自覚でいっさいが決まってしまうと思う。
 自己の成長には、なんといっても第一に朝晩の勤行をしっかりすること。仏界を湧現しきることが最高の人材といえることになります。第二は自分の仕事、役職の責任を、ひとつひとつまっとうしていく粘り強さ。第三に、たゆまず教学、勉強をしていくこと。第四に良い先輩について、少しでも自分に力をつけようという努力です。それができうる人は、すでに人材の中の人材です。
 学会は信心の世界です。勤行のできない人は人材とはなれない。学歴のある人は、信心によって学歴がりっばに生きる。学歴のない人は妙法によって、学歴とは別に、それ以上の力がついてくる。
 先輩は、後輩の人物を、見つけ、育てることに心がけ、後輩は、良き大先輩につききっていくことです。これこそ、人材育成の肝要といえる。信心が強盛であれば、しぜんに育ち、その世界に絶対必要な、大人材になることを銘記されたい。十年、二十年、宗教革命に戦ってきた大幹部の人々の経歴、人間革命の実態を目を開いてみることです。
 秋谷 どうしても、ほかの人とすぐ比較をして、劣等感をもったりする人がありますが。
 会長 それは信心ではないのです。信心があれば、それが助けになり、励ましになってしまう。大名ばかりだったら米はできない。大将ばかりだったら戦争はできない。社長ばかりだったら生産、営業はなにもできない。自体顕照が仏法です。信心です。形式、役職、機構の問題でなく、いかに自分は幸福であるか否かが問題なのです。虚栄や栄誉に流されては、限りない苦しみになってしまう。十界三千の生命なのだから、自己の中に幸福がある、力があると確信して楽しい人生をつくることです。人をうらやましがっていく人生は哀れな人だ。最後は不幸に流され、倒れていく人生だ。信心は確信です。強い強い信心で、はえある人材にひとりひとりがなっていただきたい。
 秋谷 ことしの一月から高等部を全国的に活動させ、中等部も編成する段階にはいったわけですが。
13  将来の大人材に
 会長 よろしいでしょう。青年部も各部の充実にはいったのですから、出発を開始すべきです。良き種は良き苗になり、良き花が咲く。良き少年は良き青年となり、良き指導者になる。
 小さい時から信心し、学校の勉強を第一義に進んだら、将来の大人材は間違いないのです。また家庭も安心するし、本人のためにもひじょうにいいことだ。中等部というと幾つぐらいになりますか。
 秋谷 小学校五年からですから、十一歳です。
 会長 われわれは十九歳、二十代ぐらいからの信心だったから、やがて負けてしぼう。(笑い)
 少年の心は、じつに鋭敏だ。まるで寒暖計のようなものだ。すぐに感応を示す。年をとった人は寒暖計がこわれているみたいだからね。(笑い)少年時代に、いまの教育では、どうすることもできない、根本の自覚、人間形成を理想的に仕上げていくことです。いまの政治の腐敗から生じた悪い三悪道の環境から、つぎの時代の尊い人生を守っていただきい。
14  信心の二字を根本として
 秋谷 信心の問題になりますが、実際政治にたずさわる、信心をしている議員の心構えですが、これは、ほんとうに大事な時代にはいったと思いますが、
 会長 王仏冥合実現が、学会出身の議員の使命です。王仏冥合とは慈悲を根本とした政治です。信心なくして、絶対に慈悲がわくわけがない。慈悲のない政治、議員であるなら、他党と同じで、なんの意味もない。
 大聖人様も法華経のために名をあげよと指導あそばされている。自分の栄誉栄達、名聞名利のためであっては絶対にならない。
 あくまで「法華経のため」すなわち、信心根本に広宣流布のため、民衆救済のため、大衆福祉のための議員でなければ、大謗法と断じてさしつかえない。地涌の大菩薩の誇りをいだき、信心強盛にして、力ある、そして民衆から信頼され、尊敬されていく議員であってもらいたい。私の心からの願いです。
 秋谷 これからの時代は、政治の場面、民音、研究所等、広範囲に多彩な、大衆運動、立体活動がなされるわけで、とくに、根本の信心が流されがちになってくる。
 会長 信心がいっさいの応用活動の根本です。信心のない立体活動は、砂上の楼閣に等しい。学会の前進、勝利は信心があるからです。いかなる作戦を、企画を立てても、信心がなければ、最後はくずれてしまう。負けてしまう。信心がある人は、諸法実相で顔色もいい、生活も明るい。信心のない人は、いくら上役になり偉くなっても歓喜がない。真実味がない。人相まで陰険だ。生活も暗い。いくら虚栄を張っても薄っぺらだ。(笑い)
 先日、ある有名人が、学会はどこからもお金がはいらないそうですね(笑い)と、驚いていた。そうとう、陰から学会を利用しようと思っていたそうです。(笑い)もっとも尊く、もっとも強いのは信心の二字です。
 この信心を根本に、鉄の団結をもって、われわれはおたがいに、助け合い、励ましあって、りっばに王仏冥合を実現しょうではありませんか。社会党あたりでも、資本家から資金をもらっているといって指摘されている。保守党は、言語道断。(笑い)宗教団体、他の社会、団体は利害得失で、腐りきっている。まじめな人たちは、かならず、まじめなわが学会を知って、ついてくることは必定です。
 石田 お金といえば、自民党の派閥解消でも、こんどの社会党の大会でも、主流、反主流の融合の問題でも、学会の団結、団結というのを聞いて、これではいかんという感じが強いのではないですか。
 会長 そうとも感じます。ある人がいっていましたが、学会があるかぎり、他の宗教界のほうでも「金もうけは、まずいな」という空気があると。(笑い)
 秋谷 このあいだ日大講堂での「生長の家」の会合が、八百円とかといってました。
 会長 そうか、ひどいことをしているね。
 秋谷 日大講堂にまで、信者を集めて大もうけをたくらんでいるのですから、ひどいものですね。
15  総本山の威容について
 石田 ことしは、総本山には六壷も完成するし、また、いちだんと威容が整いますね。
 北条 登山会が、三月いっぱいで終了し、そのつぎからは、どうなりますか。
 会長 それは、すでに登山運営委員会で決定ずみのとおり、登山会は永久につづけます。学会の根本行事です。三百万登山という、未曾有の大行事が終わるのですから、少々、本山も、各坊のほうにも疲れがでるでしょう。したがって、四月は約半月ほど休んで、また昭和三十八年度の登山数、結局、約二百万前後の登山会に、もどるわけです。
 秋谷 正本堂の時は、六百万総登山でしたね。
 会長 そうです。約二年間ぐらいで、列車のつごう、宿坊の関係から、なされるようになるでしょう。今回の三百万総登山も、あと三か月。たいした事故もなく、終了できますことを心から感謝しています。登山部の責任者の方に、輸送班の方々に、心からお礼申し上げるものです。
 秋谷 先日は、富士年表も完成しました。まだ上巻で、ことしあたりは、下巻も完成されるのではないでしょうか。
16  令法久住のため
 会長 登山するたびに、総本山が整備されて、私どもの喜びです。
 秋谷 雪山坊の前も、りっぱなモミジ公園ができましたね。
 会長 初め、このモミジ公園のことは、猊下とのお話し合いで一昨年、参院議員の当選員数だけ、記念として植樹させていただくわけでした。しかし、十五本ではまことに寂しい。やっと本年にはいって、私が京都の植え木屋まで行って、五百五十本植えさせていただいたわけです。結局、五百五十人の衆参両院の議員が出てもらわねば困るね(笑い)。モミジ公園の川沿いは、桜並み木に猊下がしてくださった。
 北条 日帰りの休憩所も、りっばにできあがったですね。
 会長 五百数十畳敷きです。大化城では、冬にはいり寒くて、不便をきたしていましたので、とくに猊下にお許しを得て、総坊のできるまで使わせていただくことになったわけです。
 秋谷 総坊は、いま設計中ですね。
 会長 総坊建設委員会で、着々と進捗中です。ことし、五月すぎには四むね同時の起工式ができる予定です。そして、四むねを最初に造り、将来、また二むね造ることを目標にしています。
 北条 正本堂の御供養も、いよいよことし十月となりました。
 会長 けっしてむりはせず、真心の御供養を日蓮大聖人様即日達上人猊下に差し上げましょう。そして、最大の功徳をおのおの、ちょうだいしたいものです。
 総本山側、学会側、ともに正本堂建設委員会も、まもなく発表されると思います。
 大客殿の設計者・横山氏も、すでに設計の構想にかかっています。
 猊下の許可もすでにいただき、正本堂前の広場に「湧出泉水」の経文にちなんで、日本一の大噴水を造りたいと思っています。
 日蓮大聖人様のご予言、そして日興上人様のご構想が、日達猊下の時代にぜんぶ達成なされると思われます。じつに、名前におふさわしき日達上人であられます。
 令法久住のため、子孫末代のため、日本の安穏、世界平和のために、私たちの信心によって、完ぺきにさせていただきたいと思っています。皆さま方のご協力を、せつにお願いします。
 先日、本山周辺の土地も約十六万坪、御供養させていただきました。
 世界の霊鷺山であることは、絶対です。
17  小説「人間革命」について
 秋谷 いよいよ新年号から、小説「人間革命」が連載されますが、戸田先生が「人間革命」を聖教新聞に初めて掲載された当時のいきさつについてお願いいたします。
 会長 聖教新聞第一号に「人間革命」を載せた時は、まだ戸田先生は会長になられるまえでした。昭和二十六年五月三日に会長に就任され、その一か月前ぐらいに聖教第一号が発刊されたと記憶しています。
 これからの時代は言論戦だ。広宣流布の実弾として出そうといわれて――その着想は、昭和二十五年の十二月だったと思います。昭和二十六年にはいって、具体的に進んできた。たしか二月の寒い夜、仕事の帰り、築地の混んだすし屋で「いよいよ新聞を出そう。おれが社長になるから、おまえは副社長になれ」と。「勇ましくやろうではないか」と、こういうふうに話があったのです。
 それからまもなく新聞の題名をどうするかというので、何人かの人に聞いたのです。「文化新聞」とか「世界新聞」とか「宇宙新聞」とか出た。最後に、みんなの意向として「聖教新聞」が、ふさわしいといって決定したわけです。戸田先生も初めは「将来のために”宇宙新聞”はどうだい」などと、大きな話を楽しそうにしておられました。(笑い)題名の決定が二月の末。それから第一号を出すまでは、いろいろ苦心談があったわけです。
18  いろいろな苦心
 三月ごろに、先生が「人間革命」の小説を書き始められたと思う。お仕事のあいま、あいまに。お山に行くまえなんか「雑誌を買ってこい」とおっしゃって”なににお使いになるのか”と考えてみたら、列車の中で小説の構想をそこからヒントを得ようと思っていらっしゃったのです。それでまもなく、小説の第一回目を、ポケットに入れてこられて「書けたから読みなさい」といわれた。「もし、直すところがあったら直しなさい」とおっしゃって、見せていただいた。これはたしか三月中旬です。私の知っているのは、そんなところです。
 石田 私の知っている範囲では、最初、小説の一、二、三あたりまで、ずっと一気に書いていらしたのではないかと思うのです。それで私がいただいたのは、三月の終わりのごろではなかったかと思います。
 会長 石田さんが最初の編集長でしたね。
 石田 そうです。
 秋谷 こんどの小説のほうは、もうみんな出るのを楽しみに待っています。出るまえから反響があります。(笑い)書き始められるにあたっての話をうかがいたいのですが。
 会長 戸田先生は、”妙悟空”のぺンネームで人間革命を執筆なされた。私は”法悟空”の名で書かせていただく。妙法の妙は、法性、仏界。法は無明、九界を意味する。先生は師匠であられる。私は弟子の立ち場の名で書くことはとうせんです。
 偉大なる大師匠がなくなられて、七年間で、すなわち、七回忌までが、まず先生のご構想の実証を示しておきたい。また第二段階として、こんどは先生の偉大さ、先生の正しいご活躍、ご精神をば、学会員の方にはもちろん、世界の人々に知らせていきたい。このような順序から、出発を開始したわけです。ただ、先生のご精神の万分の一も書けないことを、先生にお許しいただき、皆さんにもご了解願いたいわけなのです。
19  七年ないし十年
 私は会長就任と同時に、七回忌が終わったら、かならず戸田先生の出獄から、ご逝去まで、せんぶ書かせていただくと心に決めていたのです。
 ですから、先生が牢から出られるところから、先生がなくなるところまで、満十三年、あしかけ十四年の分を書き上げることになる。最低五年間、もしかすると、七年ないし十年間書くようになります。乞うご期待。(笑い)
 秋谷 さし絵の三芳悌吉氏も五年か七年といったら、最初びっくりしていましたが、真剣に取り組んでいます。
 会長 知識階級、青年、おじさん、おばさん、信心をもっている人、信心をもっていない人にも、せんぶつうずる意味の書き方にしなくてはならない。たいへんなことになった。(笑い)それで小説をとおして、学会のほんとうの正しさを残しておきたい。
 重ねて申し上げれば、いくら最大限にがんばって書いても、とうてい先生の胸中を文章に表わすことはできない。こんどの小説をとおして、戸田先生のご精神のいくぶんなりとも、ふれていただきたいというのが願いであり、それが私の悲願です。
 北条 「続・人間革命」を書かれるということをうかがったのは、戸田先生がなくなってすぐだったと思いますが。
 会長 そう。前理事長もいましたし、何人かの理事もいました。
 それで先生のもとで、王仏冥合の戦いに活躍してきた闘士功労者をぜんぶ、小説の中に登場人物として入れておきたい。残してあげたい。
 北条 なぜ、七回忌以後に書かれるかというのは、当時はまったくわかりませんでした。撰時抄ですね。(笑い)
 秋谷 初信者には、そのまま教学の指導にもなるし、信者、同志の指導にもなる小説ですね。
 会長 責任重大だ。(笑い)期待にこたえられるように書かねばならない責務があるね。(笑い)
 秋谷 君が、原稿料はただだと。(笑い)原稿用紙まで、五千枚自分で買った。(笑い)多忙の中、また用事がふえてしまった。(笑い)こんどは、少しは自分の時間を理事会で決めてください。(笑い)頼むよ、ほんとうに。(笑い)
 私は仏法の指導者で、小説家ではない。専門の小説家から、いろいろ表現の仕方など、とうぜんまずいといわれるかもしれない。だが、その点はご了承を願うとしたい。(笑い)商売ではないから(笑い)。あらゆる仕事をやりながら、活動をしながら、そのあいまに書くことを知ってください。(笑い)
20  海外の学会観
 秋谷 こんどは国際情勢のことを含めて、かなり海外の雑誌が創価学会を取り上げる傾向が強くなってきておりますが、そうした傾向は今年はさらに強まると、そうみていいでしょうか。
 会長 それはとうぜんでしょうね。だからこそ、みんな成長し、世界的視野を身につけた、指導者になる時代にきたといえるのです。日本においても、学会批判は、最近、多少なりとも変わってきた。
 海外においても、ちょうど、日本の十数年前の、報道批判の状態と同じ傾向がみられる。第三者的立ち場で見ているから、正確度を増してくるようにも思われます。この半年ほど、全世界の国々のほとんどが取り上げて、論じてきました。春の豪州の旅行、秋の欧州の旅行の時も、思ったより強い関心がありました。曲解の報道が激しいと、海外の同志が歯ぎしりしておこっていました。
21  大英百科事典に
 秋谷 こんどの「タイム」などでも”ブディズム”の特集をやっているのですが、その中に、やはり創価学会のことを取り上げています。
 会長 世界的な、なんとかという辞典にも、創価学会のことがはいりました。ちょっと曲解しすぎて書いてあるけれども……。
 秋谷 大英百科事典の一九六四年版に書いてあります。
 会長 外国通信の記者と話した時、創価学会のことは、調べれば調べるほど、正しさがわかる。討究し、研究すれば研究するほど驚くよといったのです。すると、ふつうは、皆うまいことをいう、外面だけ飾ろうとする、ごまかそうとするものだが、あなたの態度がほんとうだといっていた。他の感情の雑誌、新聞記事を参考にしたり、皮相的に、また一部分から見るようでは、本質がつかめるわけがない。
 石田 外国の場合の調査の機関、調査の頭というものは、日本よりも、よほど進んでおりますから、まえのことを知らなくても、学会を彼ら一流のやりかたで調べていけば、日本よりも理解が早いように思いますが。
 会長 そうとも考えられます。彼らの過去のいろいろな実績、歴史、記録から見てもうなずける点も、いちおうある。いずれにせよ国内、国外ともに、感情、憎しみ、偏見で、批判すればするほど、批判した人間が笑われる時代になってきたともいえます。
 とくに、日本人は島国根性が強すぎる。まったく残念なことだ。各国にある大使館や、国の指導者たちが、もう少し広い心で日本に生まれた、日本のため、世界のために、貢献している学会を誇りとしさえすればいいのです。ニューアリーの大使館などでも、他の国の大使たちが、学会のことをぜひ知りたいと、たいへんであったそうです。他の大使館でもたびたび耳にしますが。それであるのに、外務省からも、一冊ぐらい本がきたことはある。だが、あとはぜんぜんない。日本の大使館自体認識していない。他の国々の大使たちも困っている。
 北条 最近の海外の雑誌は、同じ紙面の同じ記事の中で、完全に矛盾するものが出ている。片方では、世界平和の団体と書いておきながら、そのつぎでは”侵略”と書いている。平気でそぅした矛盾を書いている。わかっていないけれども、こちらの主張をことばだけでも出してきているということは、大きな変化だと思います。
22  認識から理解へ
 会長 認識は理解の第一歩です。こちらの本質を、だんだんわきまえるようになってくるでしょう。思想、哲学、宗教は、高きより低きに流れる水のように、絶対必然な人に、国にたどりつくのはとうぜんの理だ。宗教は国境があるはずはない。侵略などといえば、日本の国にも、キリスト教、マホメット教、共産思想がはいってきている。そんな幼児のような批判など問題外でしょう。
 秋谷 たしかに認識もせずに、皮相的観察だけできらうのは感情だし、ちっとも寛容ではありません。
 石田 批判記事自体のほうが、よほど排他的といえるのではないですか。
 会長 海外の活動については、ごく自発的だし、指導も現地の強い要望によって行なわれるようになったのだから。大聖人様の仏法は一閻浮提の仏法なのだから、世界じゅうの人々が求めるのは必然です。
 それに、日本は邪智謗法の国だが、外国は無智悪国であり、摂受でいいのです。それは折伏の中の摂受になるのです。
 海外については、とくに、けっしてむりをして、事件を起こすようなことがあってはならない。それぞれの国情に応じて、現在、信心している人が、まず功徳をうけ、幸福生活を実施していけばそれでよい。
 北条 公明党結成によって、だいぶ敏感になっている国もあるようですが。
 会長 王仏冥合の政治活動については、とくに日本の国の国内政治の問題であって、海外では、いっさい行なわないと明言している。海外においては国情も違うのだから、その国の法律に従って、個人個人が幸福になることが根本です。現地の人が自主的に活動していくことが望ましいことです。
 秋谷 日本の場合と違って、海外は言論によって伝えられることが多いので、上層部から伝わっていく傾向があるように思いますが。
 会長 だから、日本での誹謗記事を土台にされた点は、日本にとっても大きな損失です。もう一面からいえば、外国の場合、上層部から理解が進み、理解が深まれば深まるほどひろまるのは早いともいえます。
 いずれにしても、一年ごとに創価学会は世界的になる時代にはいったといえるでしょう。ことしもまた世界を回ろうではないか、後輩の道を開くために。
 北条 ぜひお願いします。(笑い)
23  経済情勢について
 秋谷 ことしの日本の社会的条件ですが、経済的にひじょうな不況がくるのではないかといわれていますが。
 会長 一昨年暮れの預金準備率の引き上げ、昨年三月の公定歩合引き上げによる金融引き締めで、国際収支の改善を図ったが、内外の金融経済情勢はきわめてきびしい。今春には金融緩和政策が多少進められるだろうが、それほど期待できるものではないし、とくに上半期は悪いのではないかと思う。
 北条 明らかに池田内閣の失政ですね。わが国経済は、開放体制にはいって、一方では過去の高度成長の生んだ物価上昇をはじめとして、人手不足、公共投資の遅れ、それに中小企業や、農業の生産性の停滞等、多くのひずみをかかえ、ひずみ是正をうたっているけれども、きわめて深刻な状態です。
 秋谷 昨年の倒産は、九月までで三千三百件、十一月には、一か月で五百数十件、それも一千万円以上ですから、それ以下の零細企業まで入れたらたいへんな数です。ふつうだったら暴動が起きます。
 会長 日本経済には土壌が確立されていない。いまの日本の経済競争は過当競争です。感情で動いてしまう。
 大衆福祉とか、経済成長なども、正常な全体観に立って繁栄というものは、つゆほども考えていない。だから金融機関だって、もうかれば貸すし、もうからなければ見殺しにしてしまう。無慈悲きわまるものです。これでは、ほんとうに社会の繁栄、確立はできません。
 北条 たしかに全体観といいますか、国全体という考えはまったくなしに、二、三年すれば、たちまち市場があふれてしまうことがわかっていてもむりやりな過当競争をやっています。
 会長
 この間の歩みは、財界もずいぶんがんばったといいますけれども、ほんとうは政府と官僚が強力なテコ入れをしながら外国の技術導入にたよったのであり、ずいぶん背伸びをしているという感じです。
 会長 そうですね。
 石田 日本経済としては、いちおう形の上で、欧米諸国の二流どころへははいったかもしれないが、ことしからは、いよいよ独自の立ち場で、確立されなければならない時代にはいったといえます。
 北条 たしかに、これ以上は、日本全体をどうするか、政治に対する経済をどうするかという根本問題と取り組まなければ、解決できない段階がきていると思います。
 会長 設備投資がありすぎましたね。それに消費がともなわなくなってきています。もう一つは、まじめにやってきたところは、なんとか切り抜ける可能性があるが、ふまじめなところは淘汰されていく段階にはいった。
 それから政治と経済の関係は「政経一致」ではいけない。財界人が政治家を動かす。政治家は財界人にまったくたよりきっている。そこに大きな日本の誤りがある。経済界は経済界、宗教界は宗教界、教育界は教育界として、最高の繁栄というか、成長というか、そのための政治でなくではならない。そこにいまのアンバランスがあるのです。「政経冥合」すればいいのです。
 北条 あらゆる分野が、王仏冥合にならなければならないのですね。
 会長 公明党で提唱する経済統合本部も、冥合の原理によるのでなければならない。
 北条 昔の統制経済とは、ぜんぜん違うわけです。
 会長 ある財界人がいうのには「日本の経済なんか操作の如何で、いくらでも自由になってしまう」――こわいことです。ほんとうに土壌が確立していない。それにはどうしたらよいか。やはり、ひとりひとりの人間革命です、自覚です。
 秋谷 その点からいえば、いわゆる消費ブームというものが、オリンピックを頂点として消えていった。ここでもう一度、冷静に、日本全体が経済問題を中心に、宗教を求める必然性を自覚しなければならなくなったといえるでしょうか。
 会長 そうです。ますます信仰が必要になってきました。事業即宗教でなくてはなりません。宗教をもったものが事業をしなくてはならない。事業は金もうけだけすればよいのだという時代は過ぎました。その意味から、心ある人は、どうしても根本に大思想、大宗教、大哲学をもった上での行き方をしなくてはならない。
 人間革命が根本です。社会観、事業観、それから人生観を確立することです。仏法は体、世法は影です。だからといって、その影の、環境、機構をおろそかにするものではありません。けれども、それが実っていくためへの根っこをしっかり確立していかなくてはだめです。
 いずれにしても、根本は人間革命、その上に機構改革です。いわゆる政治革命、経済革命を同時にやっていくくらい、民衆が気力をもち、賢明になっていくことです。
 そう政治家にしても、科学者にしても、実業家にしても、みんな、だんだんにわかりつつある瑞相の経済情勢、世界情勢といっても、けっして過言ではありません。
 信心をもっている人は、あくまで、信心即社会、信心即事業であるがゆえに、福運と智慧とを御本尊様にちょうだいして、偉大なる社会人として、ゆうゆうと自分のなすべき仕事、境遇に、ことしも勝ちきってもらいたいと願っています。
 秋谷 どうもありがとうこざいました。

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