Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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師の偉業の証明者に 九州本部・隊長・区長会

1965.1.16 「会長講演集」第12巻

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4  どこまでも、どこまでも、御本尊を、日蓮大聖人を、そしてまた仏意仏勅をこうむって、朝な夕な戦っている創価学会につききっていこうという決心でまいろうではありませんか。(拍手)
 最後に申し上げたいことは、勉強しなさい。戸田先生はなくなる寸前まで、私をはじめ、弟子たちに勉強しろときびしく戒められた。
 ある学者いわく「自分がこれほどまでに愚かであったかということを知ることが、ほんとうに勉強したことである」と。いまの知識階級、学者連中、評論家連中、それは知識や技術だけです。口はちょうほうなもので、自分には、責任がない。本人はただひとり、一匹オオカミです。オオカミじゃなくて一匹羊のようなものだ。
 それで、なにやかや、 人のフンドシで相撲をとっている。ほんとうに楽なものだ。学会は何百万世帯という扶養家族がいる。そんな無責任なことはできない。あくまでも信念と、大哲学の上に寸分も狂わず、それを説き、実践していくことはとうぜんであります。しかし、勉強はしなくてはいけない。
 よく先生は、おなくなりになる以前三年前、五年前、十年前から、勉強しろ、勉強しろ、勉強しなさいと、あとになって困るぞ、こう申された。私はいまになって、そのことがよく納得できました。
 二十代の勉強は頭にはいります。忘れない。年とってくると、頭にはいらない。
 ですから、御書を中心に、そのこんどは応用というべきあらゆる理論、理念が聖教新聞をはじめ大白蓮華等々、たくさん載っております。読んで読んで、読みきってもらいたい。書いて書いて、書ききってもらいたい。そして、一流紙、一流雑誌、あらゆる本も読んで、そしてある場合にはそれを序文とし、ある場合にはそれをゆうゆうと打ち破っていくだけの力がなくてはならないのです。
5  これからは青年です、ぜんぶそれが自分の将来の財産です。なまいきな人は、ちょっと学会にはいると、なんでも自分はいままでの先入観念で、たいしたことを知っているみたいにいう。しかし、教学の試験をやってみたり、ひとたび日蓮大聖人様の御書を拝読してみたり、講義をしてみるならば、汗ダクダクの状態です。世間の知識で、日蓮大聖人様の大哲学が分解できるわけがないのです。信心しかないのです。
 こんどは、その信心によって日蓮大聖人様の哲学を胸に刻んで、そして、いっさいの思想、哲学を見おろし、打ち破り、応用できるようになっていかなければ、十年、二十年先にひじょうに困ると思う。どうか、しっかり勉強して、力ある、智勇兼備の青年部の幹部になってもらいたい。世の指導者に育ってもらいたいのです。
 これが心からのお願いであります。諸君のご健闘を心から期待いたします。お元気で。(大拍手)

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