Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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師の偉業の証明者に 九州本部・隊長・区長会

1965.1.16 「会長講演集」第12巻

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3  したがって諸君は、いま大事ないくさはある。しかし、十年、二十年、三十年には、もっともっと大事な王仏冥合への総仕上げがあります。からだを大事にしてあせらず、一歩一歩、着実に前進してもらいたいのです。そして、私は道を開いているのです。倒れるのは私だけで、あなたがたは生き延びなくてはいけない。うんと成長しなくてはいけません。
 最後の最後の総仕上げは、いっさい皆さん方がやり、青年部がやると決め込んで、希望にもえて前進していただきたいのです。頼みます。(拍手)
 また、青年期は心の動乱期です。悩みの多い時代であります。よく知っております。心が絶えず動揺する時であります。私もそうでありました。しかし、私が今日これほど幸福になり、確信をもった、ただ一つの道は何か。それは御本尊様についてきたことです。なんの力もない。利口でもない。また、よき先輩についてきたことです。すなわち、創価学会を疑わず、どんなに批判されようが、罵倒されようが、日蓮大聖人様は間違いない、大聖人様の哲学は、いかなる哲学と相対しても、最高、絶対であることは断言できる。少し頭が冷静であり、少し利口な人であったならば、すなわちバカでなければ、わかる道理です。
 したがって、諸君も、さまざまなことがあると思う。御本尊様を歓喜に燃えて拝める時、ある時は落胆して、御本尊様に題目もあげられなくなるような生命になる時等々、さまざまな心理状態があるかもしれない。
 しかし、どこまでも御本尊様を放さない、創価学会につききってくる、この決心でくるならば、かならず、また心が燃え、力が出て、歓喜が出て、おおいなる道が開けてくることは、絶対に間違いないということを申し上げておきたい。(拍手)
4  どこまでも、どこまでも、御本尊を、日蓮大聖人を、そしてまた仏意仏勅をこうむって、朝な夕な戦っている創価学会につききっていこうという決心でまいろうではありませんか。(拍手)
 最後に申し上げたいことは、勉強しなさい。戸田先生はなくなる寸前まで、私をはじめ、弟子たちに勉強しろときびしく戒められた。
 ある学者いわく「自分がこれほどまでに愚かであったかということを知ることが、ほんとうに勉強したことである」と。いまの知識階級、学者連中、評論家連中、それは知識や技術だけです。口はちょうほうなもので、自分には、責任がない。本人はただひとり、一匹オオカミです。オオカミじゃなくて一匹羊のようなものだ。
 それで、なにやかや、 人のフンドシで相撲をとっている。ほんとうに楽なものだ。学会は何百万世帯という扶養家族がいる。そんな無責任なことはできない。あくまでも信念と、大哲学の上に寸分も狂わず、それを説き、実践していくことはとうぜんであります。しかし、勉強はしなくてはいけない。
 よく先生は、おなくなりになる以前三年前、五年前、十年前から、勉強しろ、勉強しろ、勉強しなさいと、あとになって困るぞ、こう申された。私はいまになって、そのことがよく納得できました。
 二十代の勉強は頭にはいります。忘れない。年とってくると、頭にはいらない。
 ですから、御書を中心に、そのこんどは応用というべきあらゆる理論、理念が聖教新聞をはじめ大白蓮華等々、たくさん載っております。読んで読んで、読みきってもらいたい。書いて書いて、書ききってもらいたい。そして、一流紙、一流雑誌、あらゆる本も読んで、そしてある場合にはそれを序文とし、ある場合にはそれをゆうゆうと打ち破っていくだけの力がなくてはならないのです。
5  これからは青年です、ぜんぶそれが自分の将来の財産です。なまいきな人は、ちょっと学会にはいると、なんでも自分はいままでの先入観念で、たいしたことを知っているみたいにいう。しかし、教学の試験をやってみたり、ひとたび日蓮大聖人様の御書を拝読してみたり、講義をしてみるならば、汗ダクダクの状態です。世間の知識で、日蓮大聖人様の大哲学が分解できるわけがないのです。信心しかないのです。
 こんどは、その信心によって日蓮大聖人様の哲学を胸に刻んで、そして、いっさいの思想、哲学を見おろし、打ち破り、応用できるようになっていかなければ、十年、二十年先にひじょうに困ると思う。どうか、しっかり勉強して、力ある、智勇兼備の青年部の幹部になってもらいたい。世の指導者に育ってもらいたいのです。
 これが心からのお願いであります。諸君のご健闘を心から期待いたします。お元気で。(大拍手)

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