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日蓮大聖人・池田大作

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力強い民族の前進 沖縄本部地区部長会

1964.12.1 「会長講演集」第12巻

前後
7  故原島宏治理事長の急逝にさいして、全学会員の皆さまとともに、ご冥福をお祈りするものです。
 王仏冥合実現を眼前にして死去され、さぞや残念なことと思えてなりません。
 しかし、この日、午前八時二十分、熱海会館落成入仏式へ出発しようとして玄関にて倒れたとのこと。なんとりっぱな広布途上の姿でありましょうか。
 私が昭和三十五年五月三日、会長に就任すると同時に理事長になられ、以来四年半、学会の大前進の源泉であり、要であり、重鎮であったことは衆人の知悉するところであります。
 遠くは、初代会長牧口先生の苦難の時代にも理事として活躍し、また二代会長戸田先生の時代、学会建設の時も、もっとも重要な理事として奔走し、戸田会長を守ってこられた。
 いま、若き私の時代になっても、杖とたのみ、柱とたよってきた偉大なる理事長でありました。
 この功績、この活躍、さぞや霊山に帰り、日蓮大聖人様より称賛されることは、絶対なりと信じてやみません。
 私は、故原島宏治先生のこのふるまいこそ、わが学会の模範であり、鑑として、広布の歴史にさん然と輝きわたることを確信しております。
 つねに胸奥に破邪顕正の闘魂を秘め、水の流れるごとき信心、人格はどれほど私どもに安心と勇気を与えてくれたことでしょう。また内外の人々から親しまれ、その人徳、福徳は、かならずやご一家に、わが学会に回向されることは明らかなことです。
 ご子息も成長し、奥さま、長男、二男、長女ともども、理事補となり、大幹部となって、先生と並んで、広宣流布に戦っていることは、まことに力強いかぎりです。
 なお、学会には、大幹部級の人材が、きら星のごとく雲集し、微動だもいたしません。故理事長とともに戦ってきた大幹部は、この逝去を機に、かならずや理事長の遺志をひとつひとつ実証していく決意で、すでに勇んで立ち上がっております。三世諸仏総勘文抄にいわく「上上品の寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍じ心を一切有情の身中に入れて内よりは勧発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず」云云。
 この日蓮大聖人のおおせのごとく、理事長もまた一日も早く若き躍動した生命をもって、広宣流布の戦列に、はせ参じていただきたい。私どもは、かならず故理事長の願望を、りっばに達成することを、ここに堅く誓うものです。
 私が、昭和二十二年入信の時、初めて出席した大田区の座談会のことです。その時、ふたりして語ったことが、いまでも脳裏から離れません。
 「池田君、君は見どころがあるよ、妙法は絶対に間違いない。しっかりがんばって、戸田先生のりっぱな弟子となりなさいよ」と。
 また昨日は、午後「これから参議院に行ってきます」と、本部事務局に公明党委員長として元気な顔を見せました。そして参議院が終わり、こんどは夜おそく、事務局を一回りして、理事長としての責任をまっとうし、本部の御本尊様に副理事長とともに唱題して、家に帰られたと聞きます。
 ああ「巨星墜つ」の感をいだくものは、あに私ひとりでありましょうか。日本のためにも、学会のためにも、まことに惜しい人を失いました。
 兄のようだった原島先生、なにとぞ安らかに。 十二月九日

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