Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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一切の源泉は題目 指導会

1964.11.4 「会長講演集」第12巻

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3  仏法はきびしい。きびしいがゆえに、まじめであれば証拠ははっきり出ます。峻厳であるがゆえに、ふまじめな人は、ごまかしの人は結果がでます。文証、理証、現証にしかず。仏法は現証が根本になります。
 したがって大幹部になったからといって、けっして信心をおろそかにしてはならない。ますます御書のとおり、そしてまた、戸田先生の指導、本部の指導をまっすぐにうけきって、ひとつひとつ証拠を示していっていただきたい。それが後輩に対する、ひとつの折伏の姿であります。
 創価学会を大事にしている人は、とうぜん御本尊様を大事にしていることにつうずる。御本尊様を大事にしている人は、やはり和合僧である創価学会を大事にしている。自分のものと考え、大事にしている。悪い幹部は、それから、信心のない幹部は、創価学会を足場にして利用し、自分の名聞名利、尊大ぶり、権威をもつためにしております。そういう人は、やはり落ちていく。
 したがって、本部は遠くにあるのだ、創価学会は遠くにあるのだ、上から指示があれば動けばいいのだ等との考え方は創価学会の行き方ではありません。ぜんぶ御本尊様のもとに平等です。日蓮大聖人様の弟子として、子供として目的に向かって進みきっていく、その異体同心が創価学会のありかたです。真実の民主主義の決定版です。その点をよくわきまえて、ひとりも落ちないように着実なる信心の前進をしいただきたい。(拍手)
4  また、私どもは、なにが根本か、しょせんは題目をあげきっていくことにつきるのです。ある人いわく「題目は量が大事か、質が大事か」量も質も大事なのです。
 御書を読むことも大事、折伏することも大事、生活も、もっと大事、いっさい大事であります。ゆだんはできません。なまやさしい社会ではありません。社会を甘く考えてはけっしていけない。そのいっさいの源泉になるのが題目になるのです。
 したがって戸田先生であっても、なにもしないで、あの偉大なる境涯を会得したのではないのです。法のために牢獄へ行かれて、あの苦しい戦時中の牢獄の中で百万遍、二百万遍の題目をあげきって境涯を得ております。また、牧口先生、戸田先生の側近におられた理事長をはじめ大幹部も、皆さん方の先輩も、皆さん方以上に活躍しております。苦労もしております。
 だが、その源泉に百万遍、二百万遍の題目を唱えきった人たちであります。題目を唱えきらないで、要領よくしていると、われわれは凡夫ですから、どうしてもだまされる場合がある。教学ができる、頭がいい、また、ひじょうに一時的には真剣であった、とんとん拍子に大幹部になったり、市議会議員なりになってきた人もおりますが、長くみますと、その人は行き詰まっている。ボロがでてくる。メッキのような場合がある。そうであってはけっしてなりません。
 皆さん方も、きょうをまた契機として、喜びにも題目、悲しみにも題目、戦いにも題目、いっさいの人生の活動の源泉は題目を唱えて唱えて唱えきっていくのだ。
 これが日蓮大聖人様の仏法の真髄であります。それが実践です。どんなことがあっても題目だけは、唱えて唱えて唱えきっていく。それだけを忘れないでいただきたいのです。(拍手)
5  学者は学問を研究しきっていくのが学者の使命です。いまの学者は、昔のようにりっぱな学者が少なくなって、利害がひじょうにさとい。数えあげれば、きりがないし、嘆かわしいかぎりです。
 ほんとうにりっぱな学者であるならば、やはりその道における研究態度に対して、だれびとも尊敬するし、また知らない仏法に対しても、まじめに、真剣に認識しようとする態度があるわけです。また、おすもうさんは、真剣に強い力士になる。
 横綱になろうと努力していくことがとうぜんであります。それが遊んでばかりいたり、マージャンばかりやってしまったら、これはまずいです。力をつけていこう、うんとけいこをしていこう、それが真髄にならなくてはなりません。
 小説家は小説家として、表現を最高度に発揮して、美の価値を与えよう。社会の事業を民衆に訴えていこう等との使命があります。宗教家は俗にいうことばでいえば、衆生済度です。だがエロチックな小説ばかり書いて、人気者のつもりで金をもうけている。すべてその本髄、使命を忘れているのです。まあ、いっさいのことが大同小異で本末究竟の世の中であり、顛倒の世の中でありますから、あたりまえのように考えている。
 私どもの使命は、あくまでも王仏冥合の表現、信心、そしてまた実践の源泉は題目をあげきっていくこと、これに尽きると思います。皆さん方のご健闘と成長とを心から御本尊様にご祈念しておきました。しっかりがんばってください。かんたんですけれども、以上をもって私のあいさつといたします。(大拍手)

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