Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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永遠の幸福つかむ女性に 女子部隊旗授与式

1964.9.8 「会長講演集」第11巻

前後
2  女性がひとつの共通の性格としてもっていることは、意地悪になることと、嫉妬深いことです。その女性の最悪なる不幸をつくっていくそのもとを、題目によって、学会活動によって、仏道修行によって大きく打開しきっていただきたい。心のひろびろとした幹部であっていただきたい。
 後輩の人たちの悩みに対する親切な指導、後輩の人たちに対する思いやり、それから後輩の人たちがしあわせになっていくことに対する喜び、このことをいつも考えていける人は、しぜんのうちに自分自身が、大福運をつんでいきます。しぜんのうちに、明るく、気品をつけていくものであります。
 その源泉はなにかといえば、題目しかありません。あとは自分らしく進んでいっていただきたい。背伸びして「私は部隊長になったのだから、後輩の人たちに負けてはたまったものではない」と窮屈な、偏狭な、外からみていると、ひじょうに喜劇みたいにみえるような幹部であってはならない。
 自分らしく指揮をとり、指導していっていただきたい。背伸びをする必要は、けっしてない。また、背伸びをしたり、あせっている人は、なんとなく自分自身が苦しい。その必要もありません。たんたんと題目をあげ、自分らしい後輩の人々に対するめんどうの見方をし、自信をもち、責任をもって遂行していけば、りっぱに前進はできるものであります。
 それはそれとして、有名な山本有三の「女の一生」モーパッサンの「女の一生」――すべて不幸な女性の一生につきております。皆さん方は、妙法に照らされた女の一生であっていただきたい。すなわち、確信に満ちみち、絶対に幸福になっていけるという自信に満ちた人生であっていただきたい。
 どんなに三障四魔があっても紛動されることなく、ただ南無妙法蓮華経と唱え、ただ学会につききっていこう、このことだけを忘れないで進みきっていく人は、最後は大勝利者、大幸福者になることは間違いない。御金言に照らして間違いありません。先輩の現証のうえからみて間違いありません。そのことを念頭において、ゆうゆうと指揮をとっていただきたい。
3  また、最後に申し上げたいことは、幸福は遠くにあるものではない。いま自分のいるところに幸福があるのです。そのことを忘れてはならない。世間をみても、女流作家であるとか、女流評論家であるとか、女優さんであるとか、はなやかな人生を送っている人もいます。
 ちょっと卑屈な人からみれば「ひじょうにしあわせそうである、うらやましい」と、このように考えがちなものであります。だが、その実体、本質、生活、その人の心の奥底をさぐってみるならば、どれほど迷いがあり、どれほど不幸である場合があるかわかりません。その人たちは一寸先がヤミです。少し長くみるならば、そのうちに、その名声はぜんぶ消えていってしまう等々、数えあげればきりがありません。
 皆さん方は、そのような、はなやかな人生ではないけれども、永遠につながる幸福への行動であり、宇宙大に広がっていくべき、因果倶時の大福運を積むべき行動をしているのであります。
 信心を強盛にして、自分自身をよくみつめながら、ほんとうに自分の奥底の仏界を、天上界を湧現させきって、いかなる行動においても、ぜんぶそれが「自分自身の幸福につながっていくことなのだ、自分自身の幸福を湧現させるための戦いなのだ」と。このように確信して、なんでも進んでやっていくことが、ぜんぶ自分の福運になっていくのです。「自分はしあわせなのだ。いま、しあわせを感じないような戦いでは、いつしあわせになることができるか」との信心を忘れないで進んでいっていただきたいのです。皆さん方の、ご健康とご健闘を心から祈っております。
 がんばってください。

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