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日蓮大聖人・池田大作

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会館は信心の道場 松原会館入仏式

1964.8.29 「会長講演集」第11巻

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2  よく私が話すのですが、会社は利潤追求のための会社です。したがって、真剣に働いて営業し、繁栄させていこうという会社でなければならない。とうぜんの理です。ということは、会社のなかでマージャンをやったり、雑談ばかりやってしまっていたならば、会社の生命はもう失われています。
 学校は教育の場です。その学校で、教育という生命をなくして、ただ運動ばかり
 やったり、パーティーばかりやったり、ダンスばかりやってしまったならば、その学校の生命は失われてしまいます。
 また、剣道の道場は、剣道をとおして、りっぱな人格をつくっていく、芸をみがいていく。これが道場の生命です。それを間違えて、竹刀を持ってこない。ただ社交的な気持ちで、道場にかよっている、雑談ばかりしているということは、もうその道場の生命、魂は、なんら無いのです。
 わが創価学会の会館は、信心の道場です。この会館にくる人も、会館を守る人も、ぜんぶ信心の二字を根本として活動でなければ学会員とはいえません。会場を使うその資格ある人とはいえません。
 したがって、義務のために集まる、義務のために守るのであったならば、こないほうがよい。もっとも峻厳な、もっとも尊い、もっとも美しいつながりが創価学会であります。御本尊様を根本とした信心で会合し、そして戦いに進み、これを永久に繰り返していくのが会館の意義であります。
 どうか、その点を銘記されて、どこの会館よりも模範の会館、そしてまた、会館使用者としての鐘となっていただきたい。このことを、とくにお願い申し上げておきます。
 それで、近所の方々には迷惑をかけないように、とくと注意をしていただきたいと思います。いろいろな官庁の建て物等は、われわれの税金で勝手に造って、そして市民のためや区民のためを心から思っていない。公共設備に対する考え方が間違っている日本の社会人の悪弊があります。
 会館の場合も公共物であることが考えられますが、しかし御本尊様を根本として、人々を御本尊様に導いていくための指導、訓練、勉強するための会館であります。仏法読みの仏法知らずになってはならない。学んでいること、いっていることはりっぱであるけれども、隣近所からいつも悪口をいわれて、みんな敵にしてしまう。「公共物なんだから自由勝手に使っていいのだ」として、なんらそこに効果があがらないという悪循環をつくるようなことがあってはならない。
 なにも私はこの小さい会館にいうのではなくして、これから、百軒、二百軒、三百軒というたくさんの会館を建設することを予想しておりますために、この会館入仏式をお借りして、将来のために、いいのこしておきたいために申し上げました。よろしくお願いいたします。

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