Nichiren・Ikeda
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全魂打ち込み勉強
中部本部落成式
1964.3.22 「会長講演集」第11巻
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1 本日は、中部本部の落成式、たいへんおめでとうございました。(拍手)きょうお目にかかれなかった中部の同志の方々にも、よろしくお伝え願いたいのであります。
名古屋の駅に降りましたら、相当数の同志の方々がおりました。だが、私はそっけなく車に乗って、たいへん失礼であったと思いましたけれども、本部の落成式の都合もありましたものでこちらにきてしまいしまた。心のなかでは、ゆっくり会いたい、ひとりひとりと握手でもしてごあいさつしたい。こういう気持ちは、ほんとうにもっております。だが、ひとりひとりに、ていねんにあいさつをしていたならば、着くのは夜中になってしまいます。(笑い)そういうわけにもいきません。
また、私の方針としましても、皆さん方もひじょうに忙しい生活をもち、職場をもち、家庭をもっているのですから、会長や幹部がきたからといって、わざわざ迎えにきたり、送りに行くことは厳禁しているのです。おたがいにお会いしたい気持ちはとうぜんでありますが。
私はまた、皆さんを代表して海外指導に行くつもりでありますが、そのときも、二、三人の代表の見送りだけを許して、あとは絶対にいけないといっております。
海外指導といっても、ちょうど創価学会が国内における地方指導、地方折伏を行なっているように、その行動となんら変わりない時代にはいってきているのです。
それを、海外旅行だからといって、いちいち迎えに行かなければいけない。送りに行かなければならない。そんな形式があってはならない。こういう気持ちです。
したがって、もしか駅などにいらっしやった方に、ゆっくりあいさつしたり、礼儀を重んじておりますと、ほかの駅、ほかの本部や地方でも、みんなそういうふうにしなくてはならない、社会の、大衆の学会という時代にはいってる今日、そういうことはかえって行動のうえにも、時間的にも、または大衆の面からみても、マイナスになることは、とうぜんなのです。ほかの教団や、ほかの団体はいざしらず、創価学会だけは、どんな大幹部になっても、後輩の人人や同志の人々に迷惑をかけたり、時間的苦労をかけたり、そういうことは断じてならない。
こういうふうになっておりますものでご了承ください。(拍手)
皆さんが偉くなっても、いつも私と同じ気持ちでいくのです。偉くなってきますと、バカな人間ほど、大勢で迎えにきてもらいたくなったり、りっぱな姿を見せたく思うのです。「教いよいよ実なれば位いよいよ低し」これが日蓮大聖人様の教えなのです。
ぜんぶ御本尊様のもとに平等なのです。ぜとんぶ御本尊様のもとに友だちなのです。同じ弟子であり、同じ人間なのです。こういう気持ちでいくのが、私どもの学会のありかたです。
それで次に申し上げたいことは、幹部になって、たまに学会を利用したり、または社会的に悪いことをして、やむをえず人事委員会や理事会や、またはそれぞれの本部で解任する場合があります。本人にも激励して、早く立ち上がるようにといって一時的に解任する場合もあります。
また、あまり悪くて、たまに除名する場合があります。それは私どもの本意ではありません。除名したからといっても、御本尊様はそのままです。そして一日も早く学会に戻してあげたいという気持ちの場合があります。
人間の心は恐ろしいもので、自分が悪いことをしておきながら、いちじ、役職をはずされる、そうすると今度は、もっとも正しい、まじめな、純粋な学会を批判したり、同志を批判したり、まるで本末転倒になって、騒ぐ者がいるのです。この心自体が提婆達多であり、十羅刹女であり、鬼子母神です。因果倶時ですから、その心があるがゆえに解任になったり、悪いことをしたり、除名になるのかもしれない。
なんの利害も関係なく、あくまでも信心いちずの学会です。文句をいわれるようなことはなんにもないはずです。一銭も取っているわけではない。信心指導をし、しあわせにさせてあげようと努力しているのが学会です。
したがって、幹部になっても、信心がなくなって、学会を利用して、大罰をうけるようなことのないように、信心のことだけは、そして創価学会のことだけは、まじめに、純粋に、一生涯、一生成仏のためにも、子孫末代の福運を積むためにも、これからの後輩の人々のためにもがんばっていただきたいことを心から念願するしだいです。(拍手)
また、お願いしたいことは、幹部は勉強をしていただきたいということです。題目をあげることが根本であることはとうぜんです。そして御書を意欲的に読んで学んでいく、そしてその他の勉強にも全魂を打ち込んで、全力をあげて吸収していただきたいのです。
座談会へ行っても、指導会のときでも、あの幹部の話はいつも同じである、なんにも魅力がない、そして納得できない、理解できない。「人はいいのだけれども。
どうも、すこし変わったセンスのある話をしてくれないかな、もうすこし変わったところの御書ぐらい知らないかな」(笑い)と、こういわれないようにしていただきたいのです。
後輩の人々が心から満足し、理解し、納得し、喜び勇んで信心ができるような源泉の指導をしなければ、これからのりっぱな指導者とはいいきれません。したがって幹部がみずから、人一倍御書を読み、思索し、新聞も読み、または一流の雑誌を
読み、または専門、専門の勉強も深めていただきたい。一切法これ仏法です。ぜんぶ妙法の傍証であり、真理なのです。その人その人にあてはめて、満足させきれるだけの、いっさいの方面からの指導をしていただきたいのです。
広宣流布だ、広宣流布だ。やれ本門だ、本門だ。「それはもうわかってますよ」と心のなかでみんな思っているのです。もっと幅広く、奥行き深く、時代に相応して、または新しいセンスで、臨機応変の指導を願いたいのです。
それから、これは、まえまえから指導してありますゆえに決定していると信じますが、長い長いこれからの王仏冥合への持久戦にはいったわけです。ひとつには、学会の行事は九時半には終了する。そして、いかなる本部、会館等においても、十一時には、ぜんぶしめて、家路に向かっていただきたいのです。
また、次には座談会、会合等においては、決まった会合の時間にはかならず出席して、後輩の人々が待ちぼうけをくったり、幹部は時間にだらしがないといわれるようなことのないように率先して時間の励行をお願いしたいと思うのです。
最後に申し上げたいことは、幹部になればなるほど、大勢の後輩の人が見ております。したがって、自信のある指導をしていただきたい。また、やさしい親切な指導をしてさしあげていただきたいのです。たいして力がない人ほど、おっかない顔をして、威圧をしなくてはならない、三十二相が必要な場合があるかもしれない。
(笑い)そうではなくて、やさしく、親切に、ニコニコしながら、ほほえみながら指導をしていただきたいのです。
そして余裕のある幹部になっていただきたい。いつもなにかに追われているみたいに、髪の毛などは、まるでヤマアラシかなにかのように、(笑い)目はワシみたいになってしまって、口紅もつけない、ほお紅もつけないそれで「あなた、しあわせなのよ」(笑い)こういう時代は過ぎ去りました。
余裕ある指導力、自信ある指導力、それを幹部みずからもっていただきたいと思うのです。
ただし三障四魔、反逆者に対しては、痛烈に一歩も退かぬと、それこそ師子王のごとく戦っていかなければ成仏できないのです。
男性も同じく、いつも不景気な顔をして、それで「あなた、幸福になれるのだから一生懸命信心しなさい」と、いうような幹部があってはなりません。余裕しゃくしゃくたる態度であっていただきたい。さきほど話がありましたように、因果倶時です。たとえどんな境遇であっても、ひとたび仏法の立ち場、信心の立ち場、指導の立ち場に立った場合には、日蓮大聖人様の使いです。そのときの一念が、因果倶時で福運を増すのです。
したがって、喜び勇み、親切に、その人を救おうという真心に立って、すがすが
しい信心、指導の任にあたっていただきたい。このことをお願い申し上げます。
中部本部ができ上がりましたし、だんだんと私もくる度を増して、皆さん方とひざをまじえて話し、ほんとうの中部の総仕上げをしていく、広宣流布の総仕上げをしていく人材の訓育にあたりたい決心です。
皆さん方は法を求めて、求道心の一念、それがあるがために御本尊様と境智冥合して大人材となり、成仏できるのです。いくら御本尊様があっても、求める一念がなければ境智冥合できないのです。けっして成長するものではありません。
信心の世界も、そうでない世界も、その方程式は同じです。絶対にこの中部より、偉大なる指導者がぞくぞくと出て、いな、きょう集まったこのなかの人々が、全学会を引っぱっていく大人材になると決めきっていただきたいことを、最後にお願い申し上げまして私の指導といたします。