Nichiren・Ikeda
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折伏精神貫こう
文京会館入仏式
1964.2.29 「会長講演集」第11巻
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1 文京というとなつかしい思いがします。なぜかならば、私も支部長代理として長年お世話にもなったし、学会本部としても文京は意義ある国土世間です。その証拠は、原島理事長も文京の出ですし、辻副理事長も文京にはひじょうに縁が深いのです。
私が文京へきたときは、当時、学会の支部はABCに分かれていまして、文京はC級支部だったのです。月の折伏世帯数が六十四世帯。いつもビリか、その次の支部だったのです。それがA級支部までいきました。そのときの私の決意は「御本尊様以外になにものもない」というものでした。
ひとたび御本尊様を根本として王仏冥合に向かって進むにあたっては、法華の慢は許されると私は思うのです。その意味から申し上げるのですが、私は文京いおいても、また折伏においても大きい戦いをしてきました。学会でいちばん折伏をしたのは私です。なぜか、そのたった一つの根底は「大聖人様の仏法は折伏しかない」「戸田先生は折伏の師匠である。その弟子が折伏ができずしてなにができよう」と決意したことなのです。学会から折伏を取ったらなにもありません。学会の魂は折伏の二字です。
仏法を理想的に論ずることは、だれでもできます。しかし、もっとも三障四魔をうけ、罵倒されながら、真実の大聖人様の教えどおり、戸田先生のご精神どおり実践しきるということは、なみたいていのことではありません。経文にも六難九易とあり、御書に照らしてみても、それは、了々と説かれています。その折伏を断行していく、これが私どもの実践なのです。
学会を批判している人もたくさんおります。知りながら、信心できない人もたくさんおります。信心しても折伏行のできない人もおりますが、いずれにせよ、世の中には卑怯な人はいっぱいいるのです。
そのなかで、この折伏精神だけは、王仏冥合実現の精神だけは、生涯忘れず、子供にも孫にも、この精神だけは保ちつづけていっていただきたいことを念願いたします。
それができずして、なんの文京か、なんの第四本部かと私はいいたいのです。観念論でもなんでもないのです。
いまここを「文京村」と名づければ、村は町に、町はやがて市に、やがて都になっていかなければなりません。ここに集まった幹部が、もう一回、本因妙の信心にかえって、これから本門の、第四本部の大建設をするのだ、もとにもどって町から都を建設するのだという意気で進んでいただきたいのです。
その都は「九識心王真如の都」です。王仏冥合の都をつくろうという、ほうふつたる気概に燃えて、がんばってもらいたいと思うのです。