Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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生涯、学会とともに 女子部部隊長会

1963.12.12 「会長講演集」第10巻

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4  その次に申し上げたいことは、絶対に大御本尊様を受持しきっているならば、信心があるならば、最後は、よくなることは間違いありません。最後がよくなる証拠として、いまの刹那がよくなっていきます。顔色が違います。法の求め方が違うし、人の信頼度が違ってきます。
 ですから、結婚が少しぐらいおそいとか早いと、目先のことにとらわれて、信心をおろそかにだけはしないようにしたほうがいいです。
 ぐあいが悪くなった。ぐあいが悪くなったということ自体が、極端にいうならば、率直にいうならば、因果倶時で、そのときに信心が止まっている人がぐあいが悪くなるのです。見ていてわかります。「こんなに信心したのに」「私はこれだけ戦ってきたのに」それ自身が、もう退転なのです。
 ですから勇猛精進、永遠の生命からみるならば、一生は一瞬のようなものです。
 三十年、五十年と、どんなことがあっても、御本尊様を放さない、どんなことがあっても、信心だけは、大聖人様のおおせどおりに進んでいくことです。またどんなことがあっても、どんな事態ができても、創価学会から離れない。こう確信すれば、その人は勝ちなのです。その決意のしかたが浅いか、深いかの問題です。ちょっと忘れてしまうか。惰性に流されているかという問題です。惰性に流されていても、疑っていなければいいのですけれども。
 さまざまの性根の人がいると思いますけれども、きょう集まった皆さんがたは「一生涯死ぬまで御本尊様を放さない。そしてまた創価学会から離れない。創価学会の一員として、私は死んでいってみせる」こう誓い合いたいと思いますけれども、どうですか。(拍手)
 これが全財産です。一生涯の有形無形の財産をつくるべき、そのもとの財産なのです。ことあるごとに、なにか苦しいことや、そしてまた行き詰まったときに、きょうのことを忘れないで、そしてまた、きょうを出発として、もう一歩強い、自分の信心を完成するために、来年一年間、大事な一年間として、私といっしょに進んでいただきたい。こう念願するわけなのです。

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