Nichiren・Ikeda
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民衆救う慈悲の城
松山会館落成式
1963.11.4 「会長講演集」第10巻
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3 また、この会館から見ますと、松山城が見えます。また、先日の四国本部落成のときには高松城を見ることができました。いまは文化財等になって観光客が見に行く城になっておりますが、戦乱当時は、その城はあくまでも権力の座の城でありました。民衆から絞り取って支配をしていくべき城でありました。時代は大きく変わりました。変わったといっても、いまの国会議事堂は、たいした金のかかった城でありますが、乱闘城みたいな城です。(笑い)本来ならば、全民衆を根本的に救いきる制度、機構、立法の源泉地の城でなくてはならないのです。東京都庁などというのもずいぶん金をかけて造った城なのですけれども、伏魔殿です。魔物の住み家だそうです。こちらのほうの県庁などもそうではないかと心配しますけれども、そういうのが、悪世末法の建て物の実態です。
いま、松山会館は、そしてまた、創価学会の本部や会館は、大御本尊様を根本として、人材をつくる城であります。民衆救済の城であります。大聖人様の御書のなかに「謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決す」(一昨日御書一八三ページ)という意味のおことばがございますが、それは「あくまでも信心第一、随縁真如の智をもって進んでいきなさい」とのおおせでございますが、この会館を中心として、思う存分に、皆さん方が使って、折伏の源泉として、そてまた、王仏冥合の源泉地、城として、法城として、りっぱに、有意義なる会館の歴史をつくっていただきたい。このようにお願い申し上げておきます。(拍手)
しょせん、慈悲の城であります。これが学会の建て物の、あくまで根本精神としなくてはなりません。幹部だけのたまり場であるとか、または形式だけのつどいの会館であるとか、そういうことがあってはなりません。「いっさいの民衆を救うのだ」「この津山の国土世間を広宣流布するのだ」と、こういう城にしていただきたいのであります。
こうみるとこちらは、あまり家もありませんし、畑ばかりで、折伏される人はもういないと思うのです。(笑い)だから、折伏については、松山はけっしてむりをすることはありません。ただ、いままでの同志の人たちをひとりも退転させないように、一騎当千の大信者に仕上げる、幹部に仕上げる、大功徳を受けさせてあげたいとの信念をもって進めばけっこうであると思います。(拍手)
どうかひとつ、さきほど二宮本部長からも話がありましたごとく、元気で、明るく、仲良く進んでいっていただきたいのであります。
最後に、皆さん方のご健康とご健闘をお祈り申し上げ、きょう集まった全員の同志の人々と握手をかわしてお別れしたいと思います。ご苦労さまでした。