Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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大福運つむ折伏 北海道第五総支部結成大会

1963.10.8 「会長講演集」第10巻

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15  話は変わりますけれども、その信心をしきってきた証拠として「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」とおおせのように、どのように幸福になったか、反対した場合に、因果き理法により、どのように不幸になったか、これは、たくさんの実例を私は知っております。
 皆さん方も信心強盛な人は、たくさん身辺で実験証明をなさっていると思いますけれども、一つの例をとるならば、さきほどから皆さん方の前で話をしておられた辻先生――辻先生が十数年前、私が入信当時でありますが、小学校の先生で、私がなにかの用事でその小学校の道を通っていましたら、その物置き小屋のようなところに、ご夫婦、そしてまたお子さん方と住んでおりました。一生懸命に題目を上げていたことを記憶しております。
 その時分は、ほとんどの人が信心しておりません。ぜんぶ創価学会に対して、あらゆる悪口罵詈、弾圧でありました。ほんとうのことをいうと、いまの人はひじょうにしあわせなのです。信心しやすい立ち場なのです。福運があるといえばあるといえますし、またもっとも早く菩薩の道を歩んでいたほうがしあわせであったか、それはなんともいえません。
 それからまもなく、功徳によって、今度は教員住宅のほうへ移られたことがあります。その姿も私はよく知っております。一晩泊まりにいったことがあります。その家も、ちょっと高台にありまして、マッチ箱みたいな家です。そういう家でありまして、村田英雄ではないけれども「吹けば飛ぶような」そういう家なのです。
 それでまた、だんだん水の流れるような信心をしきって、いまでは災害対策特別委員長、また国会対策委員長として公明会の中枢であります。その当時笑ったり、そしてまた悪口雑言をいっていた教員の人たちや隣人の人たちは、いまになって「辻先生、われわれは負けたよ。たしかに日蓮正宗の仏法は、創価学会はたいしたものだ」といっているのであります。(拍手)それが証拠なのです。
 また隣におられる柏原先生も、話があったかもしれませんけれども、信心のために追われて家を引っ越すこと二十何回。(笑い)初めは泣き虫で気が弱くて、いま考えれば想像もつかないような人であったらしいのです。それが人間革命です。牧口先生に仕え、戸田先生のもとで第一線に立って、今日の学会の大原動力になって戦ってきたことを、じっと私は見ていましたから、知っております。
 いまではりっぱな家にも住み、そしてまた参議院の女の議員さん方が、柏原先生をひじょうにうらやましく思っているらしいのです。また海外旅行も、もう六回か七回。ほかの議員さん方はなかなか行けないらしいです。そういうふうに、いまでは女性のなかでは日本一、世界一の女性と自負しているのは、柏原先生ではありませんか。(拍手)
16  時間がありませんから、北条副理事長や原島理事長や、または本部長や私のことは略させていただきますけれども、ぜんぶ理事級、または大幹部級は、あらゆる点で大勝利の証拠を示しております。同じ題目を上げ、同じ御本尊様をたもち、同じ大聖人様の子供であります。位が上であるとか下であるとか、そんなことは形式であります。
 大事な大事な一生であります。有意義に信心をしきって、強盛なる信心を成し遂げて、自分自身もこれでよし、そしてまた死んでいくときは、あとに残った子供たちにも、子孫末代までもかならずや大功徳が回向されるという大信心をもって、進みきっていただきたいと、私は思うのであります。(拍手)
 宿命と戦って若し人もいるでしょう。また商売がたいへんで、題目を一生懸命上げている人もいるかもしれない。さまざまな悩みをもって、皆さん方が信心をしていることはよるわかります。だが、いくらグチをこぼしたからといって、どうしようもないのです。だれも助けてくれません。自分自身のこの仏界を、この中に宇宙全体の宝物が含まれており、それを信心によって出しきるのです。それが一念三千の理法です。
 きょうからは一段と題目を高らかに上げ、強く上げて、絶対に願いを達成させてみせるという確固不動なる信心をやりきっていただきたいことを、心から祈る気持ちでお願い申し上げ、私の激励といたします。(拍手)

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