Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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前進の源泉、教育部 第2回教育部全国大会

1963.8.1 「会長講演集」第10巻

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4  それで、先日の新聞をみますそ、学会は選挙に強い、そしてまた、八月には講習会をやる。それを見習って、河野派は自分の派閥の連中を連れ、その選挙区の若手の運動員を十人ぐらいずつ集めて、ぜんぶで七百人といいました。そこでみっちり「高野山に閉じこもって、(笑い)各坊にはいってがんばろうではないか」と。それに相対して、今度は佐藤派が「それならば、ワシのほうは比叡山でやろうではないか」と。(笑い)
 それがいまの日本の国を左右している政治家や指導者の態度であります。どうせマネをするのならば「富士大石寺に行かせてください」と。また「御本尊様を拝ませてもらいたい」という気持ちになればべつですが、そういう気持ちはありません。たが自分の派閥だけのことしか考えておりません。それで、かっこうだけは学会のマネをしているわけであります。
 いまは、そういう根のない世界であり、社会になってしまいました。しかし、私たちは大御本尊様を根本として宗教革命をしつつ、政治革命、そしてまた文化革命、教育革命、経済革命をりっぱに成し遂げきっていこうではありませんか。(拍手)
 そこで私がとくに申し上げたいことは、創価学会は、創価学会のための創価学会では断じてありません。すなわち、日蓮大聖人様の大生命哲学をあくまでも根底として、土壌として、大地として、あとは、おのおのの社会、境遇にあって、大きく華を咲かせていただきたいのであります。
 すなわち、その一つの例としまして、政治方面においては、公明政治連名、公明会が、りっぱな一つの政治の母体であります。教育関係においても、それは一銭も集めておりませんからすぐあしたというわけにはいきませんけれども、はやかれおそかれ、大学をつくって、そこで教育の一つのりっぱな縮図もつくっておきたい。
 経済も同じであります。芸術界も同じであります。学会のためではなくして、社会のために、日本のために、世界のために、文化協会等をつくって、そこでおのおの芸術家や文化人が大きく羽ばたいてもらいたい。
5  そういう考えでありますけれども、そういう大きい、日本全体のため、社会のため、子孫末代のためへの戦いであるということを知っていただきたいのであります。
 その根底となるのは、どうしても信心であります。日蓮大聖人様も「妙法を色心と開覚する、それが勇躍歓喜なりと説くなり」とおおせであります。大聖人様の仏法は、色心不二の哲学、永遠不滅の大聖人様哲学なのであります。私どもは愚かであり、未熟でありますけれども、大御本尊様は間違いない。大聖人様の色心不二の大仏法は間違いありません。それを受持する、色心不二が生命の真髄であるということを知ることは勇躍歓喜なのである、大功徳を受けるのであるとのおおせであります。
 どうか日蓮大聖人様の御書、また大聖人様のお教えそのままを、日寛上人様、歴代の猊下がおしたための富士宗学要集等を、読んで読んで読み切っていただきたいのであります。読まずして、実践せずして批判する人はひきょうです。男らしくありません。
 あくまでも、日蓮大聖人様に頭を下げることは恥ではありません。どこにも私どもは頭を下げる必要はないでしょうが、大聖人様だけには、御本尊様には、そしてまた、永遠に衆生をひとりももらすことなくお救いくださる、日蓮大聖人様の大生命哲学だけにはこうべをたれ、そしてまた実践に実践をし、研究に研究を重ねていくことが学会の幹部であり、そしてまた時代の先駆者であり、教育部の信心のありかたであるということを訴えて、私の激励のことばといたします。ご苦労さまでございました。(拍手)

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