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日蓮大聖人・池田大作

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正義の言論戦を 第1回言論部全国大会

1963.7.28 「会長講演集」第9巻

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2  言論は自由であるといわれます。悪い評論家や政治家、指導者は、勝手気ままに、これほどまじめな、正しい学会に対し批判をしてきました。反対に今度は言論部が立ち上がって反撃しました。そうすると「そんな暴言的な言論があるか。言論圧政じゃないか」などという勝手なことをいっています。
 自分たちがいいたいほうだい、金をもうけほうだいにもうけて、それで今度は、いままで黙認していた民衆が立ち上がると、恐ろしいのか、または感情的になったのか、そういう暴言を吐くのです。なんといくじのないことではないですか。言論は自由なのですから、だれびとがだれに対しても、正しい言論であったならば、いくらでもいっていいのが、私は言論の自由の民主主義の定義ではないかと思うのですけれども、どうですか。
 一部評論家だけの言動の自由、一部のエライ人だけの言論の自由、一部の特権階級のジャーナリストの言論の自由という時代は去ったと、また、そうであってはならないと、私ども善良なる世論の結果をもって、また言論戦をもって、民衆から燃え上がる言論戦をもって、そういうような時代ではない、そういう時代を革命しきっていこうという情熱をもって突進しようではありませんか。
 私どもが注意しなくてはならないことは、あくまでも正論であること、大衆の味方であること、大衆の代表の世論であり言論であるということでもあります。また、あくまでも理論正しく、だれびとが見、だれびとが読んでも、なるほどという、人の肺腑をえぐっていく、その情熱と理論と論理とが備わっていなくてはならない、正義感がなくてはならない、まじめさがなくてはならないということであります。
 ただの感情的な、観念論的な、そしてまたひとりよがりの言論であってはならないと思います。どうか、文化局の、そしてまた言論部長の指導のもとに、皆さん方の勉強のためにも、そしてまた、いままで弱くして、自分自身の意見が反映されなかった、そういう人の味方となって、広宣流布のためにも、日本民衆のためにも、民主主義のためにも、世界平和のためにも、そしてまた王仏冥合達成のためにも、どうか強い強い信念と確信とをもって、堂々たる言論活動をしていらだきたいことを切望して、私のあいさつといたします。

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