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日蓮大聖人・池田大作

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信心根本に研究と努力を 静岡本部結成大会

1963.7.8 「会長講演集」第9巻

前後
3  そこで申し上げたいことは、あくまでも、第一にも第二にも信心が根本であります。今度は信心さえすれば、それでは、すぐに幸福になるか、仕事が繁盛するか、生活がよくなるか。そうではないのです。四条金吾殿御返事にもありますように、信心を根本として宿命を転換しきる、福運を積んでいく、そして努力、研究が必要なのです。
 その努力と研究が即、信心即生活になって、正しい結果が出てくるのです。その信心の根本がなければ福運がない。そうすれば、どんな努力をしても反リズムになっていくがゆえに、結果は貧乏であり悲惨であります。こういう方程式になるのです。
 したがって、信心を根本として自分の境遇、自分の立ち場、責任、仕事、生活に
 研究と努力とを重ねてゆく、そこに初めて価値創造があらわれるという方程式を皆さん方が、しっかり自覚し、実践し、ともに後輩の方々に、その原理を、方程式をもって教えきっていただきたい。これをまずお願いするのです。意味はわかりますね。
 ですから、三年信心し、五年信心しても、なかなか結果がうまくあらわれないというような人があったとするならば、その方程式に順応していない、順じていない人なのです。しょせんは、なんだかんだいいながらも、指導を受けながらついてくれば、三年たち五年たち、七年たち十年たてば、よくなっているのが現状であります。
 その次に申し上げたいことは、これだけ学会人がふえ、人々が幸福になってきたし、また平和になってきました。まことに日本の国を思う指導者や為政者や政治家がいるならば、心から賛嘆し「これで自分たちが願っていた、その現証が着々とあらわれてきた。うれしい、安心した」というのが、まことの指導者であり為政者であります。
 だが、実際問題は、やきもちをやき、自分の選挙区が荒らされる、学会がだんだん進出すると、どうもメシが食えなくなってしまうというような、小さい感情で学会の前進、一千万人の幸福のこの厳粛なる姿に対して批判しているようなバカ者がおりますけれども、しょせんは仏法は勝負です。日本の国では、信心をもった人以外に、真実に民衆の味方となって戦っていく人はありえません。
 したがって私どもは、第一にも第二にも折伏をしきり、自分自身が人間革命して日本一の力持ち、幸福者になりきって、折伏に折伏をしきって、どうしても日本の国を広宣流布する以外にない、創価学会の力による以外にない。こういう決心をもって私とともに、どうか立ち上がっていただきたいのであります。
 いままで批判してきた人々や、インチキな指導者や政治家をアッといわせようではありませんか。「学会をバカにしていたけれども、ああ、たいしたものだ、驚いた」と心の中で心服し随従するまで、私どもは鉄の団結をもって、火の玉となって、この十年間を第一目標として、まず本門戒壇建立の地にある静岡本部が小さい本部であってもかまいませんから、団結の姿を示して戦いきっていただきたいと、このように念願して私の激励といたします。

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