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折伏こそ末法最高の報恩 東京第五本部幹部会

1963.6.12 「会長講演集」第9巻

前後
2  戸田先生が十大部の講義録を完成されんとなされ、立正安国論、開目抄、そして観心本尊抄で終わってしまいましたが、戸田先生がなくなられたあと、私がすぐに執筆をさせていただこうという念願でありました。
 ですが、私は戸田先生がなくなり、すぐに利口げに先生と同じような気持ちで講義録を執筆することはもったいない、増上慢である、そういう気持ちになりました。いずれにしても、私は戸田先生の思想を実現する、実践する会長であります。あくまでも、先生のおおせどおりに、指揮どおりに、皆さん方とともどもに実践しきっていこう、広布に向かって進んでいこう、こういう気持ちで今日までまいりました。皆さん方の強いご支援によって、三年間の歴史も過ぎ、ぜんぶ広宣流布への戦いは勝ちました。
 それで、二、三日前から、まず来年の七回忌の恩師の報恩を意味しまして、皆さん方を代表して、「報恩抄」の講義録を書くことにいたしました。
 ことしの秋までにはでき上がると思います。また、それが終われば、すぐに選時抄等の十大部ぜんぶにかかっていく決心であります。その他もかかっていく決心であります。たとえていえば「科学と宗教」「政治と宗教」「第三文明論」等、全魂を打ち込んで広宣流布のために残しておきたいと思っております。
3  私は、なぜそのことを申し上げるか。それは、第五本部はまず、教学の本部であっていただきたいのであります。どこの本部よりも、とくに教学においては、先駆をきっていく全学会の教学の旋風を起こして、またきょう集まられた皆さん方も、杉並、山の手方面に住んでおられる、ただいま理事長から話がありましたごとく、真実の知識人、インテリと、名実ともにいわれるような、仏法の大学者になっていただきたいために、この本部の幹部会の席上でお伝えするのであります。ご奮闘をお願いいたします。
 そして、その報恩抄の日寛上人様のご解釈を拝しますと、報恩ということは、とうぜん、法蓮抄にも書いてありますが「四恩」です。順序は不同でありますが、父母の恩、一切衆生の恩、国の恩、そして師匠の恩であります。
 これはとうぜんなことであります。総じていえば「四恩」、別していえば、それは三重秘伝をわかることが報恩である。また“通化伝法”すなわち折伏することが報恩である、南無妙法蓮華経を唱えて、そして折伏すること、大御本尊様を知ること、大御本尊様を教えてあげることが、これが末法今時における最高の報恩であるとおしたためなのであります。
 いま私どもは大御本尊様を受持し、不幸の人に大御本尊様を教えてあげ、折伏する、その人が健康になり、生命力を出し、知恵を発揮し、そして社会に貢献していくのです。価値創造をしていく、恒久的な報恩の原理を教えているし、実践しているのが私どもであります。その私どもが、なんで日蓮大聖人様から、大御本尊様から大功徳をいただかないわけがないではありませんか。
4  「大悪をこれば大善きたる」との御金言があります。太平洋戦争で日本の国は滅亡しました。そのときに恩師戸田先生は、そしてまた初代の牧口先生は、牢に行かれました。その大悪があったがゆえに、今日の三百四十万世帯の大発展の創価学会の姿があるのであります。
 また、近くは、過日、参院選における緒戦において、原島先生、そしてまた柏原先生は惜しくも敗れました。その時に、何人かの同志は去っていきました。笑っていきました。また信心していない人も、けいべつの念をもってみておりました。
 しかし、その次の選挙、その次の選挙、その学会の王仏冥合への強い強い証拠の姿を見て、心の中では、懺悔しております。感嘆しております。驚異の目をもって見ております。
 個人においても、学会においても、それは黄金時代にはいったとはいえ、分々においては、宿命と戦い、三障四魔と戦わねばならないことはとうぜんであると思いますが、「大悪をこれば大善きたる」これが大御本尊様の妙法蓮華経の不思議な力の原理であります。
 なにか苦しいこと、困ったことがあったならば「大悪がきたのだ、大善は間違いないのだ」という強い強い信心を奮い起こして、行力を奮い起こして、ともども前進していこうではありませんか。

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