Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

日本一の勝利者に 東京第四本部幹部会

1963.6.11 「会長講演集」第9巻

前後
3  たくさんの新聞社、そしてまた雑誌記者等が何回となくインタビューや記事をとりに、じつはきているのであります。初めのうちはあまり忙しかったから関係せず、選挙の少しまえにはどうしようもなくして、約束をどうしても実行せざるをえなくなって少し出ました。また選挙が終わってから、もう何社からもじつはきているのであります。だが私はいちいち会わないのです。どうせ利用であるし、だいたい、もう先入観念で書いていこうという人が多いのです。
 それで私はこういう時間があったならば、少しでも同志の人を激励したい。広宣流布への作戦を練りたい。じつはこういう気持ちでいるのであります。私が会わずしても、私がいうことも、同志が会うことも、いうことも、ぜんぶうちは同じなのです。たまたまどうしようもなくなって「原島先生、ひとつ頼みますよ」というと「弱ったな、またきたな」などと。それからまたあるときは「秋谷君頼むよ」「藤原君頼むよ」「政治部長頼むよ」と、こういうふうに、じつはやっているのです。
 それでもずいぶん断わっているのです。
 普通は、有名人になりたがったり、そういう新聞記者がくれば飛びついて、なんとか宣伝しよう。それが普通の人であるし、普通の団体であると思います。わが創価学会は、それは大事な会合、大事な面接等においては、出ることはとうぜんでありますが、いちいちPRしたり、軽率な、軽薄なそういう行動は、私はとらないように気をつけておりますし、そうでなくても三百六十五日、全会員の同志のかたがたが毎日毎夜認識させようと努力しきっているこの姿で、私はよろしいと思うのであります。したがって、ひとつも私は有名人などというように見せることは考えておりません。学会が大をなせばなすほど、皆さん方の成長だけを祈ります。個人プレーなどということは考えません。同志のよくなること、偉くなることを願ってまいります。したがって、このあいだも聖教新聞社別館で、いろいろ仕事が終わって、原島先生や理事の方々と別館に泰山木という、東京でもあまりない木がりっぱに花を咲かせている姿をみまして「私や理事長は泰山木の根になり、幹になっていればいいよ」と。「あと、枝やそれから葉や花は、それは会員の人たちになってもらおうではないか。政治部員の人や、そしてまた信心を根底にして、あらゆる文化活動の世界で、咲ききそっている皆さん方にやってもらおうではないか」どうしたって、見れば、これは泰山木だということは、葉を見たり花を見て認識するのです。幹や根を見て、泰山木という人は百人のうち、ひとりかふたりしかいない。そういうような気持ちで、私は今後いきたいと思うのです。
4  ということは、会長就任の時には「学会の屋根になる」今度は広宣流布の機熟した時には、私は根になり、幹になり、そういう気持ちなのです。私が短気を起こしたり、野心をもったり、そして野望があるとするならば、現在でも百万人の青年がおります。いま日本の自民党の党員は何万人、社会党の党員は数万人です。
 他の国々を見ても、革命を起こした党員は、それは二十万人か三十万人か、百万か二百万でみんなやっております。私がほんとうに革命を起こして、なんとかしようとすれば、あしたでもできるのがとうぜんであります。だが、そんな偏頗な、犠牲を出すような、野蛮な暴力の革命は絶対いたしません。あくまでも恒久的にこわれない、民衆の心が本源的に安心し、だれびとも平和を願い、幸福を願っております。その要望にこたえて、ただ信心根本に、大聖人様のご慈悲を根底にして、永久にこわれない、永久に栄えていく宗教革命を、忍耐強くしていこうというのが学会精神なのであります。
 どうか王仏冥合実現まで、そしてまた皆さん方が「自分は日本一の勝利者である。幸福者である」と名実ともに宣言しきるまで、私とともどもがんばっていっていただきたいと思います。

1
3