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魅力のある幹部に 東京第二本部幹部会

1963.6.5 「会長講演集」第9巻

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3  もうしばしのがまんであります。それにつけても、私どもは勝ってカブトの諸をしめて、創価学会が強くなり、発展し、それにともなって同じように自分自身が成長していかなければなりません。創価学会のこの団結、強さをカサにかけて、自分自身が組織のうえにあぐらをかき、大幹部づらをすることは、仏法のうえからも魔の存在であるし、かつまた創価学会の精神のうえからみても、もっとも憎むべき存在であります。
 したがって、私はよる戸田先生が申されたこのことばを思い起こすのであります。
 「幹部はあくまでもいばっていてはいけない。組織のうえにあぐらをかいては断じてならない」とのおおせなのです。「後輩の指導の任にあたり、指導してあげなさい。自分の子供のような気持ちで兄弟のような気持ちで指導の任にあたらなくてはならない」と。
 また「幹部はひとたび戦いにのぞんでは邪宗邪義に向かったならば、土性骨のある信心をもたなくてはならない。一歩もひかない、そして御本尊様を守る、創価学会を守りきる、後輩を守りきるという土性骨がなくてはならない」と、このようにもおおせであります。
 また、ある指導者に対しては「魅力ある指導者に育たなくてはならない」魅力のない指導者ほど、後輩が悲しいことはないわけです。魅力とは何か。見えとか、形式という意味ではありません。あくまでも後輩に自信をもたせ、希望をもたせ、安心させ、そして楽しさを与え、それであって究極は信心強盛に、りっぱな大人材を、幸福者をつくりきるという意味の、魅力ある指導者であります。
 話をしても、ぜんぜん魅力のなり指導者にあたった場合には、眠たくなってしまうし、同じ話ばかりするし、「なんとなくつまらないし、ああまたあの人といっしょに座談会へ行かなくてはならないのか」「あの人の話を聞くのか、つらいなあ」と、こういうふうにされる、または思われるような支部長であり、地区部長であり、班長さんであっては、私はいけないと思うのです。
 なにかその人に特色がある、魅力があるということは、せんじつめれば、それは信心です。その人が成長するところに魅力がでるのです。また後輩の人を、真心こめて考えていくところに、私はしぜんに人をひきつける力が出ると思うのです。
 どうか幹部の皆さん方は「あの幹部ならば楽しい、安心できる、喜んでついていこう。どこでもいっしょに行って勉強しよう」このようにいわれる、魅力ある力ある創価学会の指導者に、幹部になっていただきたいことを心から念願いたしまして私の話といたします。

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