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社会人として勝利者に 京都本部幹部会

1963.5.30 「会長講演集」第9巻

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4  最後に、渡部学生部長は新しい任務を帯びて、兵庫本部の本部長になっていただくことになりました。新しく中尾京都本部長が就任されましたが、さきほど話がありましたように、中尾さんは話はちょっとむずかしいようで、ひじょうに親しみにくい点があるかもしれませんが、ひとたび親しんでいただき、身近にお話を願っていけば、中尾さんほどいい人はいないと、私ははっきり申し上げておきます。
 信心の点でも純粋であります。ひじょうに口ベタであったことは事実なのです。
 参議院に行ってからは、ずっとじょうずになったので、どこへ行っても長く話そうということになって、聞かされるほうがたいへんな場合がありますけれども、そのように長引くほど個人指導もしてくださるわけですが、個人指導の点においても、その人がらそしてまた、まじめさも、これも創価学会随一であります。ひじょうに生まれがいいもので、大ワクの感じを受ける人なのです。
 それに対応して、副本部長になった鳥養さんは、学会再建当時からの闘士でありますが、この方は、またひじょうにきびきびして、こまかい点まで気がつき、剛毅で中尾さんといい対照なのです。したがって、中尾本部長と鳥養副本部長がコンビになれば、学会第一の本部になることは間違いないと私は思うのです。
 どうか、関西本部のほうからきた人だなどという、そういう見方をしないで、創価学会はどこでも、みんな融合され、一体でありますから、本部長、そして副本部長を迎えて、京都にいる理事の人、大幹部の人が一丸になって、第一にも第二にも信心を根本として、幹部はいばったり、そしてまた、どなったり、気どったりしないでいただきたい。同じ御本尊様のもとにすべて平等です。私のことについても、やれ慈悲が深いとか、おつかえするなどと、ぜんぶそういうおせじを使われても、私はなんとも思わないし、えらく困っているのです。
 そういうことは創価学会にはないのです。ぜんぶ御本尊様が根本であり、その御本尊様を根本として、王仏冥合に進んでいくその指導者が私なのです。仏法の指導者という意味には、いちおうはなりますけれども、そういうわけであって、ことばのゼスチュアなどということは、私には必要ないのです。
 ただ大御本尊様を根本として、幹部は後輩に対して真心をこめて、親身になって大御本尊様の偉大さを知らしめていただきたいし、宿命を転換する原動力を与えていただきたい。また、後輩の人々は法を求め、そしてまた、自分自身が大成長して、幸福になるために、自分自身のために批判とか怨嫉などは乗り越えて、仏道修行をしきっていっていただきたい、一人前の大確信のある学会員になってもらいたい、社会人になってもらいたいということだけが、私の念願でありますから、どうかその点を留意していただいて、しっかり、ともどもがんばっていきましょう。

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