Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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有意義を青春時代を 3月度女子部幹部会

1963.3.18 「会長講演集」第9巻

前後
3  それで、最後に申し上げたいことは、ただいま理事長からも、その意味の話がありましたが、それは皆さん方がただの一銭ももらわず、悪口雑言されながら、尊い青春期を折伏に仏道修行に、また社会の繁栄、日本民族の幸福のために、日夜真剣に戦っております。信心した女子部員のなかにはひじょうにまた認識不足で信心弱くして皆さん方がいくら努力しても会合に出ない人もたくさんいることも知っております。「会合に出してあげたい」と迎えに行ったならば「彼氏と映画に行ってしまった」と。迎えに行ったならば「私はあんまり出たくありません」家の人にもいやな顔をされながら、寂しい顔で帰ってくる場合もあると思います。そのようなことはたくさんあると思いますが、ぜんぶそれ自体が、りっぱな自分自身の人間革命であり、福運を積む源泉であり、それ自体が折伏であるということを自覚していただきたいのであります。
 たとえ相手が聞かなくても、会合にこなくても、または講義にこなくても、それは一面は寂しいでしょうが、一面は「私としては、日蓮大聖人様のお使いとして、また友人として、まごころこめていってあげたのだ。これでいいのだ」こういう、のどかな、のびのびした気持ちで、前進していっていただきたいのであります。
 日蓮大聖人様も、また戸田先生も、どんな人間であっても、仏法を学び、信心しきっていかなければ、犬畜生にも劣るとおおせであります。二年、三年の姿においては、凡夫のつねとして皆さん方は信心しないで自由な人の姿をうらやましいように思う場合も、それはあるかもしれません。
 十年、二十年、一生涯の人生をみなさい。どんな人であっても、信心しない人は誠意がありません。前途のともしびがありません。なにかあったときに、地獄の苦しみを味わっていかざるをえないのです。どんなりっぱな主人があっても、主人はいつかは死ぬに決まっています。いくら子供があっても、子供が不良になるかもしれない。どんな宿命があるかもしれません。そう考えた場合には、しょせん信心をたもちきっていった人が、大御本尊様を受持しきっていった人が、絶対に幸福になり、勝利者になるという、ゆうゆうたる境涯で、青春時代を送っていただきたいことをお願い申し上げ、私の話といたします。

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