Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

絶対の幸福、信心のみ 1月度女子部幹部会

1963.1.6 「会長講演集」第9巻

前後
2  また、ちょうど、二、三日前に学生部で編集している第三文明の本を読みました。そなかに、何人かの人が、書籍の書評をしておりました。ちょうど江田さんが書いた「女として人間として」という本に対する批判がありました。かるく学会の女子学生に破折をされているわけであります。江田さんに対してうんぬんする理由も、それから考えも毛頭私はもっておりませんが、その本の一節に、学会のことについて、宗教のことについてふれているのです。
 そのために、その女性が反ばくしているわけなのです。その一節に「創価学会の信心は非科学的である」というようなことが書いてあります。どうも生命哲学も一般自然科学も、政策的な一つの問題等も、ぜんぶ混同して考えているらしいのです。
 それ自身が、江田さんは、非科学的なのかもしれません。
 文証、理証、現証ということを知っているか、生命哲学ということをどのように考えているか、また政策というものを、どういうふうに考えているか、その分け方がわからない、実際問題として混乱しているのです。それほどの非科学的な考え方はないはずなのです。江田さんほどの人がそうなのですから、いわんやその以下においておやです。
 したがって、一応、与えて宗教は非科学的である、アヘンであるとします。すると、今度は社会党委員長さんの河上さんは、一生懸命キリスト教をやっているそうです。聞いてみると、それ自体が矛盾です。それだけ科学、科学というならば、仏法は科学、生命科学です。道理です。最高の道理です。したがって、いっさいのものを科学的にみていく、非科学的なものに対しては、それは邪教であるとみるのが日蓮正宗の本義でしょう。
 それだけ科学的、科学的というならば、自分の党だけぐらいはもって科学的に運営したらどうか、派閥抗争ばかりではありませんか。そのように、浅い仏法観、まじめに創価学会の実態も認識せずに、非科学的に論ずる人が、過去にもおり、現在にもおりますけれども、いずれにせよ、そういう人々は、まだまだ、本質がわかっていないのです。また自分自身がわからないのです。なぜならば三大秘法の仏法を、事の一念三千の法則も知らずして、自分がわかるわけはないでしょう。そのわからない自分が、仏法の批判をしようと思うのですから、それはわかるわけがありません。そういう悪循環であります。
 いま私たちは、信心以外のいろいろな経験上の問題や知識の問題は、勉強しなければわかりませんから、謙虚な気持ちで、大いに求道心をもたなければなりません。けれども、事実あらゆる思想の根源、生命の根本、世界観、宇宙観、人生観の根源である大御本尊様のこと、日蓮大聖人様の大生命哲学のことは、私どもだけしか知らないのです。ですから、その問題については、われわれが教えていくのであるという自覚をもっていこうではありませんか。

1
2