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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部は純真を教学を 10月度婦人部幹部会

1962.10.11 「会長講演集」第8巻

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3  次に、昨日、ある婦人部の幹部の方があいさつにみえまして、そのときに「うちのほうは円満にいっているか」と聞きました。そうしましたならば、ひじょうに正直な婦人であって「いや、じつはきのう、主人にしかられました」というのです。
 その家庭は、よく私は知っておりまして、主人は反対をしてきた家なのです。「なぜだ」と聞くと「きのうは一時に帰りましたもので、えらくしかられました」と、こういうわけなのです。
 「それはいけない」学会の行事は九時ないし最大限、九時半で終わりです。私は、いまだかつて、皆さん方に非常識な指導はいっぺんもしたおぼえがありません。夜おそく帰って家庭がまずくいくことはとうぜんです。「いっさいの学会行事は九時半でおしまいだ」私はこのようにいいきっております。
 非常識な行動をすれば、批判をこうむるのはとうぜんです。中間の幹部の方々や、または、いうことを聞かないで、そういう場面のおこることも多いようですけれども、学会の指導どおりにしていただくならば、それは、仏法のうえの三障四魔、三類の強敵はありますけれども、絶対、微塵も間違った指導は、私はないといいきっておきたいのですけれども、どうでしょうか。
 どうか、そういう点においても、皆さん方は後輩に対して、常識ある指導を、学会に対し不審をいだかせるような、無理な、事故を起こさせるような、そういう指導はしないようにしていただきたいと思います。仏法は道理です。信心は即生活の方程式、原理でありますから。
4  最後に、先日の幹部会で私がつくづく思ったことは、長年、ともに戦ってきた同志が、十年、十五年経て、ほとんど、戦いきった人は、大功徳に満ち、大幹部に成長してきたという事実なのです。その反対に、途中で退転し、学会を誹謗し、批判してきた人々は、内外ともに苦しい生活をし、罰の現証を如実に私どもの前に見せていることであります。仏法はきびしい。ほんとうに長い目でみると、勝敗は決定される。いわんや一生における仏道修行において、勝負において、信心した人と信心しない人、批判をした人との勝敗は、おのずから決せられることはとうぜんであります。
 どうか皆さん方も、大御本尊様をだきしめて、どんな批判をも、どんな怨嫉をも、信心第一に、絶対に信ずる者は最後は勝てるのだ、幸福という大勝利を獲得できるのである、われわれをいじめたものはかならず不幸になる、地獄に落ちるのだととの大確信をもって、進んでいっていただきたいことを切望するものであります。
 来月の幹部会の時に、また元気いっぱいにつどいたいと思います。ご苦労さまでございました。

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