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日蓮大聖人・池田大作

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教育部員に期待する 第1回教育部全国大会

1962.8.1 「会長講演集」第8巻

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3  あんまり、学会の会合はすっきりしていて、先生方も日教組やなにかで、ずいぶん訓練されていると思いますし、日教組気分も出したほうが、感じがいいと思って……「執行部」だとか「委員」だとか……そういうふうに私はしたのです。民主的で、これでいいでしょう。
 それで、最後にお願い申し上げたいことは、二百八十万世帯になんなんとする学会の勢力となりまして、信心未熟で、まだ教学もあまり知らずして、ひじょうに、指導の面や、それから折伏の面においても、世の人々に曲解をされるような場面も多々あるわけなのです。
 それは、一家だって、むすこや娘を統合できないような現状であって、これだけの大世帯で毎月何万名の人がふえていて、やむをえない場合もありますけれども、私としては、だれびとも道理正しく、みんな納得できるような、信心指導、それからあらゆる道理のうえの指導をしていっていただきたいことが望みなのです。
 だれが聞いても仏法の定理、原理というものは、生活法ですから、わかるのです。
 仏法は道理ですから。それが、往々にして、さまざまな批判をされます。これは残念なことであるけれども、またそれが変毒為薬できるのですけれども、千名、そして三千名になった教育部の皆さん方に、指導にあたっては、折伏にあたっては、いっさい、日蓮大聖人様の仏法、学会の指導というものを、理論正しく、道理正しく、ぜんぶ教育部員三千名の人でりっぱに引き受けてくださると、こういうふうにお願いしたいのでありますけれども、どうでしょうか。
 きょうは、このことを、とくとお願い申し上げておきます。また、最後に申し上げたいことは、「教育部の歌」に「若き王者の雄叫びは……」とか「革新の歌」に「広布の王者は凛然と立てり……」と、こういうふうになっておりますが、その「若き王者」も、「広布の王者」も、ぜんぶ、創価学会であり、また第一線で指導にあたる皆さん方ひとりひとりである、指導者の人々、ひとりひとりが「若き王者」であり「広布の王者」である、というふうに歌っていただきたい。そしてまた、その自覚をもっていただきたいことを、お願い申し上げまして私のあいさつとさせていただきます。
 教育部の会合だけは「講演」などというむずかしいことはいわないことにしておきますから、どうか、むずかしい話は、皆さん方のほうでしていってください。以上、お願い申し上げます。

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