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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部の自覚 6月度婦人部幹部会

1962.6.12 「会長講演集」第7巻

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2  皆さん方が一か月のあいだ、家庭に、闘争に、指導に、折伏に、さまざまな境遇において、楽しいこと、つらいこと、寂しいこと、それから悩みをもつときなど、いろいろなことがあると思います。しかし、もうこの幹部会にきたならば、ぜんぶ吹き飛ばし、新しい信心の原動力、新しい生命力、いぶきと、人間革命への大源泉たる、楽しい婦人部幹部会にしていっていただきたいと切望するのです。
 「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云」と日蓮大聖人様はおおせになっておられます。大御本尊様に「南無妙法蓮華経」と唱えること以上のしあわせ、遊楽というものはありません。
 寿量品の「衆生所遊楽」を、このように「四条金吾殿御返事」にお説きあそばされておりますが、どんなに楽しい世界があるといっても、どんなにうれしいことがあるといっても、大御本尊様に題目を唱えること以上のしあわせもなければ、喜びもないのです。
 したがって、皆さん方ひとりひとりが、大御本尊様をしっかり抱きしめて、一生涯、自分ほど生活のうえで、人生のうえで、喜びとしあわせを感じとって生きているものはないという確信をもっていただきたいのであります。
 信心以外の喜びは、沫のようなものです。幻影のようなものです。せつな的なものであります。どんなに金があろうが、どんなにいい家庭であったとしようが、どんなにいいだんなさんをもったと仮定しようが、どんなにすばらしい名誉をもったとしようが、それは「天上に生れて五衰をうく」ということです。信心がなければ必ず衰微する。永遠の喜びではない、幸福ではないのです。三十年、五十年、一生という長い目からみれば、すぐに苦しみ、それから悩み、不幸の壁にぶつかっていくのが人生であります。
 皆さん方が、おのおのの境遇にあって、題目を唱え唱えて、自分自身も、自分の家庭も「ほんとうに御本尊様を信心してよかった」と、この喜びを、全日本民衆に、世界の人々に、心の奥底から叫んでいただきたいし、教えてあげたいという信心のうえの確信をもっていただきたいのであります。
 あまり話が長くなりますと、皆さん方もこれからも会合があると思いますし、ほんとうは、このあとも話をしたいことがあったのですけれど、もうほとんど理事長はじめ柏原先生、それから先輩の方々から話がありましたもので、暑いし、あまりくどくなってしまうといけませんから、このへんで失礼させていただきます。皆さん方のご健闘を心からお祈り申し上げます。

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